過去のひとりごと

2003年11月25日 (火)

おとうさんのおとうさん??

先日娘に家族のフルネームをきいて見た。
私や妻にとっての両親、彼女にとっての祖父母の名前も順に聞いてみた。
おとうさんは?
おかあさんは?
じぃちゃんは?
ばぁちゃんは?
ちゃんと名前で答える娘。

ここでちょっとひねってみた。
じゃぁおとうさんのおとうさんは?

きょとんとする娘。
そこで父の名前を教える私。
すると
「それは、じぃちゃん!」
と言い切る娘。

「おとうさんにもおとうさんがいるんだよ」
と私。

訳のわからないこと言うおやじだなぁ~と、不可解そうな表情の娘。

妻にこのことを話し、
二人で笑った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年9月29日 (月)

一区切り

あまりここで触れたことは無かったが、これまで6年間、会社の労組の役員(書記長、副執行委員長)を務めていた。非専従としての活動であり、普段は会社の仕事をしながらやっていた。
今月一杯でその役も降りることとなった。
しばらくは本来の仕事に専念するつもりだ。
技術屋を目指して入社したが、12年間の社会人生活で最も力を注いだのは、技術屋としての自分を磨くことより、労組幹部としての活動の方であった。
結果的には、年の割には出来そこないの技術屋でしかない自分が今ここにいる。本来なら、気力体力充実し、ガンガン突っ走るべき年代だが、自分はかなりトウのたったヨチヨチ歩きの新入生だ。
まぁ、要はここまでの努力が足りなかったと言うことか。
今の仕事は、いかにも仕事らしい仕事と言う感じで、やること自身に疑問を感じる必要がほとんど無く、大変ではあるが苦痛は全然無い。
やってさえいれば、なんの疑いも無く当たり前の様に給料がもらえるという、考えなければ極めて楽な恵まれた環境だ。
これから、このぬるま湯の中で、労組やっているときに持ち続けた反骨精神を忘れず精進を重ねることはかなり難しそうだ。
なんて、生意気な事言いすぎ。
ヨチヨチ歩きのぶんざいで。
一人前になってから、ぬるま湯とか言えってんだ。

とにかく一区切り。
切り替えには少し時間が要りそうだ。
まずは、深呼吸。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年8月 5日 (火)

おばあさん

先月、まだ梅雨が明けず天気が愚図ついていた頃のこと。
家族で家の前で花火をした。
雨が今にも降り出しそうだったので、さっさとやるつもりで外に出た。
子供用の花火セットに火をつけ、子供達と楽しんだ。
子供達はまだあまり花火の経験が無く、火をつけるときはかなり緊張気味だった。
大方終わり、あとはお決まりの線香花火を残すのみとなった頃、ついに耐え切れなくなったか雨が降り出した。
ガレージの軒先に移動して線香花火を続けていると、通りの暗がりの方で「ああーっ」という悲鳴。
何だろうと妻と顔を見合わせる私。するとまた
「うあっ!ああっ」
声のほうを見るとなんと寝巻き姿で片足にギプスをして松葉杖を持った80過ぎと見えるおばあさんが雨の暗がりの中で、必死に立とうとしては倒れ、を繰り返していた。
思わず大丈夫ですかと駆け寄ったが、その瞬間にもおばあさんは「うわあああ」と、上手く手をつくことも出来ず、かなり思いっきり体を固い地面に打ち付けた。
おばあさんは回覧版を隣に届に行こうとしていたらしい。
なんとか立たせようと体を支えて声を掛けるが、靴が脱げて飛び、完全に動揺して、もう杖もまともに持っていられず、立っても倒れるのは確実な状態だった。
そのままおばあさんを抱えあげて家まで運んだ。
おばあさんは「ああ、恐い目にあった、行かな良かった、すんません」を繰り返した。

いまでもおばあさんがあの夜、私の目の前でまるで人形の様に無防備に激しく倒れながら悲鳴をあげる姿が焼き付いている。
年の頃は私の曽祖父と同じくらい。夫を戦争に送り出し、戦中戦後の中を女手だけで子供を守り育て、復興の中心を担った世代。
今の我々の苦労などとは比べ物にならないくらい厳しい時代を生き抜いてきたであろう世代の人である。
そんなかつての力強さは消え失せ、今は雨の中で激痛に悲鳴をあげ転げまわるしかない一人暮らしの弱い老人。
年を取れば衰えるのはやむを得ないが、あまりに残酷な現実。
高齢社会ではこれが当たり前になるのか?
我々は、現代社会は、こんな事に向かって突き進んでいるのか?
分らん。
この文章自体、どう結んでいいのかも分らん。
ただ、自分が出来ることをやろうと心がけるのみの、最も情けない人がここに居る訳であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年7月14日 (月)

チャリ

今月の頭、わずかながらボーナスが出た。
1か月分ちょいではあったが、このご時世、出るだけありがたいと思う。
(1兆4千億も儲けた某カーメーカーでは、夏分だけでも、20代で三桁万円を楽に越えるそうだが・・・・)
まぁ、そんなことは良いとして、我が家ではかねてから妻の念願であった、子供2人乗せられるチャリンコを買った。
あるホームセンターに、ハンドルの間に子供の座席がついたチャリが置いてあったのをずいぶん以前からチェックしていた。これの荷台にもう一つ座席を付けようと言う寸法である。
もう売れてしまっただろうかとホームセンターへ。
悲しいくらいに売れ残ったそいつは、我々を待っていてくれたかのようだった。
他も色々回ってみたが、こんな特殊なのはどこにも置いてなかった。
家に帰り、早速後座席を取り付け、子供2人を乗せて試乗!
それはそれは、怖がる怖がる!
もう2度と乗ってくれないのではないかと心配になる程だった。
行動範囲が広がって喜んでいる妻は、天気の良い日は毎日の様に下の子を乗せて出かけているらしい。
その様子を楽しげに話す妻の様子を見る度に、
「今回のボーナスは額こそ少なかったが、なんて値打ちのある使い方ができたのだろう」
と思うのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年6月17日 (火)

父親参観日

娘の幼稚園の父親参観日があった。
父の日の日曜日の午前中。娘とともに登園した。
他の園児らも父親同伴。さすがに親子だけあってみんな顔が似ているのが面白かった。
校庭の壇上に立った年配の先生の指導のもと、音楽に合わせて踊るのだが・・・。これがこっぱずかしいのなんの。
娘をがっかりさせまいと、なんとか体は動かしてみたものの、いやはや冷や汗ものだった。
なかには、どうしてもそういうことができず、腕組みしたまま仁王立ちで、顔だけ辛うじて作り笑いのおとっつあんや、先生よりもちゃんと踊るパパ殿もいた。
その後も、子供をおんぶしたり肩車したりの遊びが続いたが、見ればだいたい仲のいい親子かどうかが判ってしまうところが怖い。
笑顔で向き合う父子もいれば、子供は笑っているものの、必死の形相で汗だくになりながら、懸命に役割をこなしているお父さんもいた。
普段は忙しくて接する機会が少ない分、取り戻そうとしているのだろうか、なにか侘しさを感じた。
と言う自分もウィークデイは子供と会わないことが多いので、何も言えないのだが・・・。
いざ、子供との時間が持てても、話題のない親子にはなるまいと思ったわけでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年5月22日 (木)

遠足

娘の幼稚園での初めての遠足があった。
前の晩の娘の様子を妻から聞いた。
おやつやリュックを用意する妻の傍らで、嬉しくて嬉しくて、自分でリュックにお菓子を詰め、リュックを背負い、関係のない1歳の弟にもかばんを肩に掛けさせて、おおはしゃぎだったそうだ。
1歳の弟も、何か訳がわからないまま、はしゃいでいたらしい。
母親同伴の初遠足。覚えてはいないが、自分にもそういうことがあったと、ずいぶん前に母から聞いたことがある。

朝から深夜まで会社で生活し、時々自分のやっていることに疑問をもちながらも、流れを変えることが出来ないでいる。
行き詰まりを感じつつ送る日々の生活であるが、子供たちはひたすら前向きに成長しているのだと言うことを知るたび、少しホッとするのである。
子供の成長も、妻からまた聞きなのだけれども.....

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年5月13日 (火)

学力

もはや、誰も見ていないであろうこのHP。
しぶとく思い出したように更新するのである。

新聞に、最近の小学生は応用力が劣っている事が、調査の結果明らかになったと書いてあった。
私が小学生だった30年ほど前から、いや、もっと以前か、調査のたびに言われ続けていることである。
調査結果が本当なら、30年前の小学生いかに優秀でも、30年間応用力が下がりつづけたら、いまの小学生はもはや猿ではないのか?
その現在の小学生よりまだ若い私の子供たちに至っては、犬なみの脳みそなのか?

調査結果を分析するおじさんおばさんの皆さん。きっと皆さんの多くはは私と同世代でしょう。
応用力が猿なみの子供たちのためにも、もう少し、応用力を発揮した分析をしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年4月 1日 (火)

引越し

一軒家に引っ越した。
借家だ。
家賃は6千円ほどUPしたが、4LDKでガレージ付。
古い家なので使い勝手は???な部分もあるが、やはりこのくらいの広さは欲しかったところだ。
8万近い家賃支出は無駄だと思っているが、まぁ、一つの経験と考えている。
3歳の娘は引越しの意味がまだ解らないらしい。前に住んでいたアパートの前に行くと、「今日はこっちに帰るの?あっちに帰るの?」と言う。アパートのことは彼女の記憶に残るだろうか?狭いながらも、まぁまぁ楽しい暮らしだった。
1歳の息子にとってはこの借家が、最初に住んだ家として一生の記憶に残るのだろう。
私自身、3、4、5、8、10、12歳の時に引越しを経験した。3歳のころ住んでいた家を、断片的に覚えている。

子供のころに環境が変わるのは悪くないと思っている。
子供がかわいそうと言う人が多いが、ほとんどは子供を哀れむ自分がかわいそうなだけだ、と言うのは厳しすぎるでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年3月11日 (火)

幼稚園

娘が春から幼稚園に入る事になった。
先日、1日体験入学なるものがあって、妻が娘を連れて行ってきたときの事。
娘はかなり用心深く、人中へ出るとお母さんから離れようとしない。
幼稚園でも大勢の子供達が、思い思いに好きな遊びに興じている中でも、妻の存在を常に確認しながら遊んでいたらしい。
そのうちお絵描きを始めた娘。娘は家でも絵を描くのが大好きで、お絵描きに熱中してゆくうちに、完全に没頭し始めたらしい。
それを見た妻は「今だ!」とばかりに、他の父兄達に紛れて姿を隠したそうだ。春からは一人で1日過ごさねばならない。その練習のつもりだったそうだ。
妻は、自分の姿が見えなくなっても、大勢の知らない子たちの中で一人で絵に没頭している娘の姿を見ているうちに、我が子が少し遠くに行ったような寂しさを覚え、涙ぐみそうになったという。
そう言えば妻は娘を出産したとき、「今まで私のおなかの中で動いていた子が急に居なくなって、別の部屋(新生児室)に居るかと思うと寂しくて夜は眠れなかった」と言っていた。
私も娘の幼稚園生活にはちょっと心配もあり、娘を応援したいと思うが、産んだ分だけやはり母親の子への気持ちは強い様だ。

私としては、三菱自動車のCMの方がなんだか身につまされる。
エリッククラプトンのレイラが流れ、助手席で笑う小学生くらいの女の子を見ながら運転手の父親が「君はいつまで僕の恋人でいてくれるのだろう」と言うあれだ。
そんな時期が近づいてくると、今度は父親の方が弱気になってしまうのだろうなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年2月28日 (金)

お医者さんはえらい!

小泉内閣の構造改革の一環として注目されている「特区」。
その中で病院への株式会社参入という案についてTVで報道していた。
現在の医療事情については、「3時間待って3分診療」とか、「納得いく説明が受けられない」などの不満をよく耳にするし、自分も感じるときがある。
それが解消するかもしれないと言う期待もあり、ちょっと関心が合った。
番組の中ではこれに猛反発する日本医師会の人の発言があった。
「3時間待って3分が不満など甘えだ。たとえ3分でも一流の医師に3時間待てば診てもらえるではないか。株式会社になどなったら何年待っても診てもらえない。」
だそうだ。
何年待っても診てもらえない事は有り得る話だと思う。しかし3分診てもらえればOK!ではない。人気バンドの追っかけじゃあるまいし、一目お目にかかれればもう満足!とはならない。
何と言うか、ひねくれものの私にはこの医師の言葉はこう聞こえた。
「能力もなく努力もしない低能な輩が、我々のように優秀で努力を重ねて医者になった立派な人間に会ってもらえるだけでも有り難く思え。何を甘ったれておる!」
有り難くは思っている。医者がいないと困る。しかし、病気やケガで困って、医者に助けを求めて行くのであって、医者と言う特殊な能力を備えた人類を見学に行くのではない。

一方、長野県には訪問医療サービスを積極的に実施して、地域の支持を集めている病院があることが紹介され、そこの医師達は「株式会社になると面白いのでは」と語る。

日本医師会。「白い巨塔」の続編が幾つでも創れそうな雰囲気だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年2月21日 (金)

体力をつけましょう2

2月の10日11日と、妙高高原へスキーに行ってきた。
2日あったが滑ったのは1日目だけと言う、なんとも根性の無いツアーであった。
その日は平日だった事もあり人が少なく、しかも春スキーを思わせるような好天。雪質は良くなかったが、長距離コースで有名なゲレンデで思う存分足と肺をいじめる事が出来、それはそれで心地よかった。
かつての自分であれば、1日ガンガン滑ったら一旦宿に帰り飯。食ったらナイターへ。翌朝起きたら天気を確認する前に着替えて滑りに。
そんなことはもはや考えるだけで痙攣を起こしそうになる今の自分。
まぁ、大人になったのさ。と言う事にしておこう。

私は未だに数年前に買った長くて(197cm)重くて硬い板を履いている。
今時、だぁれも履かない骨董品だ。そこで前から気になっていたカービングを、一緒に行った若い衆に借りて試してみた。
とても扱いやすく、ターンが楽だったが、楽過ぎて物足りないと感じてしまった。
そう感じたのは、まだまだ自分にも若さが残っているからなのか、完全に懐古主義のジジイになったからか真相は定かでないが、あまり無理せず、ボチボチやろうと思う今日この頃であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年1月30日 (木)

中国

最近やたらと寒い。
北陸では珍しく氷点下となった。車載温度計は-3度を指していた。
北陸に似つかわしくない、サラサラに乾いた粉雪が強風にあおられて司会をさえぎり、映画の南極物語か八甲田山のようだ。
先週、出張のため中国の広東に行っていた。
あちら1日の気温が16から23度と、ちょうど良い具合に暖房の入った部屋の中のような穏やかな気候で、実に過ごしやすかった。
そこから帰ってきたとたんにこの寒波。調子が狂いそうだ。
せっかく久々に海外へ行ったのでその時の話を少し。
中国では日本で言う旧正月が正月。その準備で町並みは1日ごとにお祭りのような雰囲気を増していた。
食べ物は私にとっては大変美味しかった。朝から餃子を食べ、毎日中華料理三昧といった感じだった。仕事先の中国企業の社員食堂の厨房では、麺職人が手で麺を伸ばしていた。中国でも最近はマシンカットの麺が多いと聞いていただけに驚いた。
携帯ありADSLあり、露天の野菜売りありで、昭和30年か40年頃の日本に、最近のIT製品を持ちこんだ様な混沌とした感じがした。
これから何度か行かねばならないが、いい場所だとは思う。
あとは仕事さえうまく行けば良いのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年1月14日 (火)

体力をつけましょう

成人の日に2年ぶりのスキーに行ってきた。
私を含めて3人。私が一応最年少だったのと、連休で混雑を予想していたので、
「それほどハードにはならないだろう。久々だし、スキーリハビリには良いだろう」
とたかをくくって参加。実際、蓋を開けて見ると・・・。
天気は良すぎず決して悪くも無く最高。
人では不思議なほどすいていて、時々貸し切り状態。
ここのところ気温が低かったせいか雪質最高。
私よりも年長とは言え、ご一緒した面々は皆さん若い若い。ついてゆくのが精一杯。(正直なところ、ついて行けていなかったなぁ)
おかげさまで、足慣らしのつもりが、超全力投球に。
若い頃はいつも、このようなコンディションを夢見ていたのに、いざそうなって見ると、自分の体力が追いつかず・・・。実に悔しいことです。

日頃から、最低限の体力維持に努めねば!と、3度目の年男の今年、決意を新たにするのであった。

ああ・・・・首から下が・・・・廃人同様・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003年1月 7日 (火)

戦争

どーもアメリカはイラクに戦争を仕掛けるようだ。
国連査察団の調査結果からはこれと言った証拠は何も出てこないのに。
アメリカ国内の世論調査では、攻撃を支持する意見が6割だとか。
あれだけ大統領が何とかの一つ覚えみたいに言い続ければねぇ。
しかし、アメリカをテロ攻撃したのはイラクではないのだけど、なんでそうもイラクを眼の敵にするのだろうか?
お父さんが湾岸戦争後に人気が落ちたから逆恨みしているのか?
それとも、イラクもイランもパレスチナもなにも区別がつかないのか?

仕事で知り合ったイラン人から新年の挨拶メールが届いた。元気そうな写真付だった。
となりのイラクでドンパチ始まれば、お互いに甚大な悪影響を受ける事は必至だ。日本でも石油や、航空、船舶輸送料金が上がり、輸入品は総じて高くなるかもしれない。

戦争はアメリカにとっては最大の公共事業だと言う人がいた。
世界中に悪影響を与える戦争が、アメリカ1国のために行われるなら、もう、アメリカなんて無くても良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年12月30日 (月)

謹賀新年

ひとあし早いですが、

新年、明けましておめでとうございます。

本年も、よろしくお願い致します。

今年のお正月は、大阪港で迎えます。

気をつけて行って来ます。

でわ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年12月27日 (金)

クリスマス その2

平日だったクリスマス当日。上の子はサンタさんが来るのを心待ちにしている。
TVなどでも保育園でサンタに扮した園長がプレゼントを配った等とニュースが流れるものだから、いやがおうにも期待感を煽られる様だ。
「最近の子はサンタはいない事くらい知っているのだから....」等と、私の子供の頃から世間では言われていることだが、幼子のうちくらいは何の疑いも無く、期待、喜び、信用するチャンスを与えてやりたく思うものだ。大人になると、例え宝くじで三億円当っても、心配の方が大きかったりするものだし。
まぁ、子供の欲しいものはちゃんと仕入れ済み....サンタさんにお願い済みであるので、あとは早めに寝かせるだけ。
寝かせる切っ掛けのため、新聞紙で大きな靴下形の袋を作ることにした。靴下作って、それを持って寝室へ行って寝よう!と言う寸法。
自分自身、小学生の頃にやった事なので、作り方は問題なしである。
小学生になっても信じていたのか? 低学年の頃はサンタクロースはウルトラマンと同じくM78星雲から来ると信じていた。何故M78星雲か?話すと長くなるので止めておきます。
とにかく新聞の靴下を一緒に作った私達は、それを持って寝室へ。
娘が寝ついた後、そっとプレゼントをその中へ....。
翌朝、なぜかいつもよりずいぶん早く目覚めた娘は早速プレゼントに気付いた。
妻によればその日は1日じゅう「サンタさんありがとう」を連発していたそうだ。
めでたしめでたし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年12月25日 (水)

クリスマス その1

供達の風邪もかなり回復し、なんとか元気でクリスマスを迎えることが出来た。
平日のクリスマスは何かと慌しいので、連休に一足早くやることにした。
クリスマスを迎えると言っても、キリスト教徒の皆さんには申し訳ないですが、たんなるお祭りとしてしかとらえてはいないので、いつもと違う事をする切っ掛けを得るだけだ。
ともあれ、子供達は絵本などの影響もあり、「良い子にはサンタさんがプレゼントをくれる日」と認識しており、その期待に夢を膨らませるばかり。
こうなってしまえば、未だ幼い我が子を悲しませたくないのは親ばかで無くとも致し方の無い事ですよねぇ皆さん。と、一通り言い訳を自分に言い聞かせ。
さぁ、下の子も物が食べられるようになった今年は、妻がケーキとシチュー作りに腕を振るい、父はトイザラ・・・・・・・・・サンタにプレゼントのお願いをしに行った。そして楽しい晩餐。
実に平和で平凡で小市民的な一日であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年12月16日 (月)

緊急入院!!

子供達が2人とも入院する事になったと妻から会社へ電話があった。
2,3日前から風邪気味で、医者で薬ももらっていたのだが、このところ寒かったのと、幼いため「寝てないと悪化する」といっても理解できず、家ではいつもの様に遊びんでいたためか一向に回復の様子はなかった。
その日は温泉1泊での職場の忘年会だったのだが、それどころではなく仕事を早めに切り上げて病院へ向かった。
2人とも点滴につながれご機嫌斜め。私が到着するまではものすごいぐずり様で手の施し様もなかったと妻。
とにかく点滴チューブが邪魔なのと、とても幼児用(小児科)と思えない食事(どんぶり冷めしに、魚の切り身にお浸し)と、熱によるだるさで、子供達の不満指数は常にレッドゾーン。
結局親子4人、病院に2泊した。
家に帰った晩も上の子は明け方に激しい咳にみまわれ辛さで泣いた。
自分も最近まで明け方の咳に悩まされていたので、辛さがよぉく解る。
哀れに思うが、抱っこして慰めを聞かせてやるしか出来ない。
早く良くなって、「えらい目にあったが、これはこれで後々いい思い出になった」と言える日を1日も早く迎えたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年12月 9日 (月)

ままごと

先日、娘と息子がままごと遊びをしていた。
娘と息子が、ミスドでGETした小さなテーブルを挟んで合い向かいにちょこんと正座し、娘が何やら呟きながら、おもちゃのケーキとコーヒーを並べている。
まだ喋れず、いまいち状況の解っていない息子も、解っていないなりに姉の呟きに聞き入り、配膳?とそれに熱中する姉の様子を神妙な面持ちでかわるがわる見つめている。
恐らく息子には、ままごとをしている意識はなく、ただ偶然に姉の遊んでいる正面に這って行って座っただけだったろう。
その様子がなんとも絵になるので写真を撮ろうとデジカメを出す私。
さあとろうと思った瞬間、息子はTVのCMに気を取られ体勢を変えてしまった。

うーん、惜しいシャッターチャンスを逃した!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年11月20日 (水)

好天!

天気の良い週末が訪れた!
このまえの土曜日、仕事をするつもりで一旦は出勤したものの、あまりに久々の好天に、ついついいても立っても居られなくなり、午前中で切り上げて、家族で外出する事にした。
この時期、こんな天気の良い週末は来年まで無いかもしれない、まさに千金に値するコンディションだ。
車も洗い、恒例の涌き水汲みにも行った。
紅葉を見たいと思っていたので、足羽山近くのカルチャーパークなるとても無味乾燥な名前の公園に行き、久々に野外で一時を楽しんだ。

そして翌日曜日も好天に恵まれた。
実家の曾爺さんを連れてドライブにでもと、前々から思っていたのだが、ついに実行できそうな日が訪れた。
庭木の雪吊りをしていた曾爺さん。私達が実家に着いた時には既に着替え終わり、挨拶を済ませている間に、もう助手席に乗り込んでいた。
遠くへ行くのは避け、前日行った公園に。
芝生にござを敷いておにぎりを食べた以外、特に何をしたと言う訳でもなかったが、それなりに楽しい一時を過ごした。
曾爺さんと妻の実家にも行き、夕飯をご馳走になった。

天気の良い週末の1日って、思っていたことが何でも出来て、本当にありがたいものだと痛感。
太平洋側の人達が羨ましい限りです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年11月12日 (火)

アメリカ

アメリカは戦争をしたくてたまらないようだ。
そんなにやりたきゃやってもいいが、
竹槍とマメ鉄砲でやってくれないかな。
危なくてしょうがないよ。
20万人投入? 勘弁してよ。

同時多発テロから1年以上たって米国内では
「なぜ米国があれほどの怒りを買うハメになったのか」
という意見が増えたと聞く。
でも、再び次の喧嘩相手を見定めると、そんな冷静さはすぐに吹き飛んでしまう様だ。

昔、イランちゃんとつきあっていたアメリカ君。
イランちゃんと喧嘩別れしてからは、もともとイランちゃんと仲が悪かったイラクちゃんを使ってこらしめようとした。
イラクちゃんはアメリカ君の後押しで、色んな武器を手に入れた。
言いなりがイヤになったイラクちゃん。今度はアメリカ君に逆切れした。
自分で与えた武器を、捨てなきゃ殺すぞと、イラクちゃんを脅すアメリカ君。
一方的な見方かもしれないが、私にはそう見えてならない。
いずれにせよ、火薬を沢山持っている国が正しい国ではないのだよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年11月 5日 (火)

ここんとこ、頭おかしいんじゃないかと思うほど寒い。
連日、雷にあられに雪。まだ11月に入ったばかりというのに。
今年は皆で紅葉でも見に行こうと思っていたのに、秋をすっ飛ばして冬になってしまった。
しかし、こう言う年はえてして暖冬となるケースが多い。
以前の私なら、スキー出来なくて悲しむところだが、情けない事に昨今は、雪の降らないことを歓迎する気持ちの方が断然強い。

まぁ、そのうちもう1度暖かくなるだろう。
そうしたら、すっかり汚れた車でも洗って、改めて紅葉でも見に行こう。

1日で良いから、寒くなくて、雨やあられの降らない週末を下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年10月29日 (火)

拉致問題

TVでは最近拉致被害者の話題でもちきりだ。
帰国時点での当事者の方々が、久しぶりの再開を率直に喜んでいる様子を見てほっとした。
正直言って、何を考えているか分からない気味の悪い国に24年間も暮らしたわけだから、完全に洗脳されて帰国早々北朝鮮を称え日本批判をしないとも限らないと思っていた。
かれらは北朝鮮ではそれなりに幸せな生活を送っていたと語っていたが、見た目にもそれは感じられた。なぜなら、「やっと帰って来れた。ひどい所から逃れてきた」と言う様子は微塵も無かったからだ。
この24年間、彼らは北朝鮮で多くの北朝鮮人の友人恩人を得て、平穏に暮らしていたのだろう。それは不幸中の幸いだ。

日本政府は被害者家族の強い意向と世論に後押しされて、永住帰国を前提とする滞在延長を決めた。決定の真意は分からないが、国と国の駆け引きおいてはそれは正しいのかもしれない。
しかし、一時帰国ということで、おそらく旅行程度の仕度しかしておらず、親しい人達に別れの挨拶もしておらず、子供達に事実を話してすらいない拉致被害者をそのまま留め置いてしまうのは、本人にして見れば人生2度目の拉致と言えないだろうか。

被害者家族の意向、政治的判断もさることながら、一番苦労してきた本人がまたもや板ばさみに合い、引き裂かれるような事にならないようにするのが最も重要だと感じる。

マスコミにとってはこう言う話題は格好の「商品」なのだろうが、社会に与える影響(を通じて当事者達に与える影響)の大きさをよーく考えて、反北朝鮮、永住帰国一辺倒の報道で世論を煽るような事は慎んで欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年10月16日 (水)

久々に

ずいぶん長い事更新を怠っている。
「最近更新してないじゃん」とさえ言われなくなってしまうとおしまいだという危機感がかなり起こって来たからと言うわけではないが、ちょっと真面目になろうと思う今日のこの頃だ。

昨日、拉致被害者の面々が一時帰国を果たした。
小浜市で行方不明になったお二人も元気そうであった。
彼らが拉致されたとき、ちょうど私も小浜市に住んでいたので、当時の騒ぎは、記憶に残っている。
外国に拉致されたとは夢にも思っていなかった当時だったが、目撃情報を求めるチラシを見て、何やら気味の悪い思いをしたのを良く覚えている。
このコーナーの最初のひとりごとで、その小浜市へ20年ぶりに行った時の思い出を書いたが、拉致に合い、やはりあれから24年間ぶりに故郷に帰りついた彼らには、町の風景はどう写るのだろうか。
北で何を経験したのかは分からないが、故郷を思う気持ちが無くなっていない事を願ってやまない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年8月21日 (水)

パンツマン

盆休みの間に、娘がオシッコとウンチをトイレで出来るようになった。
とは言っても、いわゆる(オムツが取れた)と言う状態で、出す前に親に言う事が出来るようになった。
もよおしたときに自分でトイレに行って用を足して戻ってくるまではさすがにまだだ。これから後始末の練習というところだ。
寝るときはまだオムツをしているが、日中は大体パンツで過ごせるようになった。
娘が好んで読む本に、パンツマンというのが出てくる。
オムツが取れた子のことを言うようである。
娘は最近得意げにパンツマンのポーズをとって喜んでいる。

そろそろ、保育園かな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年8月18日 (日)

休日初日2

連日好天が続き、毎日ものすごく暑かったので、雨などと言うものをほとんど忘れかけていた。
ところが花火当日の夕方ごろから雲が広がりはじめていた。
一応、と思い車に積んであったビニール傘を2本もって行くことにした。

ふと、12年前、学生最後の夏、友人達と三国花火を荷にきたときのことを思い出す。
花火開始の時刻となり、一発目がドォーンとあがった瞬間に、バケツをひっくり返したような雨がドバァー!
ずぶ濡れとなり花火どころではなく逃げ帰ったことがあった。

とにかく埠頭の適当な場所に陣取り、ござを敷き、開始を待った。
無事に花火は始まり、子供達も喜んで見ていた。あまり近くでなかったため、音が大きくなく、幼子も泣かずにすんだ。
数分たった頃、ポツリポツリと雨が降ってきた。
傘を持たず、退散する人達を尻目に、余裕で傘を広げ干渉を続ける私達。
ところが雨は一気に暴風雨となって横から襲い掛かってきた。
子供が動揺して泣きだし、結局今回も逃げるようにしてその場を後にした。
やっとの思いで家の近くまで帰り着き、車の窓からふと正面を見ると、なんと花火がちゃぁんと見えるではないか。
いったい何しに行ったのだろうと憔悴しきっていると、妻がケータイを落とした事に気付いた。
こうして、最悪の連休初日は過ぎていたあのっでした。

(ケータイはたまたま近くに住む方が拾って下さり、無事に戻ってきました。どうもありがとうございました)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年8月13日 (火)

休日初日

8月11日。お盆連休初日は、妻からの希望もあり、今日は子供達を連れてプールに行き、三国花火を見に行くことにした。
三国花火の影響か、海水浴客か、単に休日のせいか、結構道が混んでいて、予想外に時間がかかってしまった。灼熱の炎天下、ようやく芝政に到着。プールに向かった。さすがにものすごい人出だった。
実は私は小学校以来、遊びでプールに入った事など無い人だったので、プールなんてものは小学生とファミリーの溜まり場だと思っていたが、若人の多いのに驚いた。
先ず、流水プールで娘を泳がせた。(抱えて歩いたと言うべきか)なかなか上がろうとせず、腕の筋肉が爆発するかと思った。
次に、息子を水につけて歩いたが、手足をピンピンと伸縮させ、「ウギャウギャ ンギャァ」と、おかしくなったのかと思うほどハシャぐわ、急に頭を水没させてびっくりした顔で「あ゛~」と叫ぶわで、こっちが笑ってしまった。

その後、三国の臨海工業地帯で花火見物する事に。
この時、実はとても嫌な予感がしていた私だった・・・。

つづく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年8月 9日 (金)

成長記録

うちの長女はもうすぐ3歳。入場無料の特権ももうすぐ失われる。
悲しむべきか、成長を喜ぶべきか・・・。
彼女は相変わらず、親を驚かせる発達ぶりを見せている。
1、パソコンのマウスの動かし方を覚えた。が、マウスが大きすぎてクリックはまだ出来ない。
2、組立おもちゃで、かなり複雑なものを作るようになった。その出来映えと、作品のネーミングのシュールさに驚いた親ばか夫婦の我々は、思わず写真を撮ってしまった。
3、仕事から帰り、遅い食事をとる私のそばに座り、テーブルに頬杖をついて「ねぇ、今日はどうだった?」と、いっぱしのセリフ。
思わず吹き出すところだった。誰のマネじゃぁ~。

うちの長男も11カ月目に入った。
最近、次のような事が出来るようになった。
1、つかまり立ち。何かを手がかりに立ちあがる。しかし、再度座る事が出来ず、立ったまま疲れ果てて泣き始める。
実に可笑しい。
2、手招き。右手で妻を招き寄せるしぐさをする。
3、「まんま」と言えるようになった。が、意味は理解していないようだ。
4、人差し指でものを突つくようになった。
5、鏡を見て悦に入っている時間が増えた。ナルシストなのだろうか?
以上、単なる記録でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年7月23日 (火)

くつした

子供達は元気になった。
娘も普段通り機嫌も良くなっり、ずいぶんと素直になった。
昨夜娘は、洗濯物をたたむ妻の手伝いをしていた。
妻がだいたいのものをたたみ終え、ハンカチや靴下などの小物の一部を娘用に残して行った。
妻がいなくなっても、洗濯物をたたむのに熱中している娘。
一生懸命に私の靴下をたたんでいる。
たたんではやり直し、またたたんではを繰り返している。
なかなかイメージ通りにたためない様だ。
なんとか靴下をたたんだ娘は、それを抱えてヨッコイショと立ちあがり、片手で箪笥の引出しを空け始めた。
横長で2箇所に取っ手のある引出。片手で引いても上手く空かない。
娘は何か呟きながら取っ手を押し引きし、なんとか空ける事に成功した。
引出しの中を覗き込み、靴下の場所である事を確認すると、「ここだここだ」と言いながら片手に抱えていた私の靴下を中に入れた。
そして引出しを閉じ、「できたー!」とビストロスマップの決めセリフ。

今日、私は昨夜娘が悪戦苦闘の末たたんで箪笥に入れた靴下を履いて出勤した。
なーんか、嬉しいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年7月18日 (木)

風邪ひいた再び

先月に引き続き、またまた子供達2人とも風邪ひいた。
特に上の子は39℃以上の熱が全く引かない。
医者へも2度行ったが、本人は比較的元気なので現在は様子を見ている。体が辛いのだろう、夜中に幾度と無く起きてはぐずる。
子供達も心配だが、妻も寝不足でダウン気味だ。
早く良くなって欲しいものだ。

そういえば妻が1件目の病院へ行ったとき、医者は原因が解らんの一点張りで、何を血迷ったか、鼻水止めと整腸剤を処方したらしい。症状はほぼ熱のみで鼻水も咳もなく、妻もそう説明したにもかかわらずだ。それで翌日まともな病院に妻が再び連れて行くことになった。
どう言うつもりかは知らないが、町医者ならば子供の苦しみと心配する親の心情をもう少し理解して欲しいし、患者と健保を食い物にするようなことしないで欲しいものだ。

ともかく、風邪を引かせた親の責任が最も重い。私も仕事にかまけてばかりいたことを反省している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年7月12日 (金)

イラン人

7月2日から2週間(10日間)、イラン人のお客が来社していた。
機械に関する基礎知識トレーニングのためだ。
彼らの先生役は、な・な・なんと私。10人を10日間1人で教えなければならなかった。もちろん日本語は無し。
はじめの頃は、1日が終るのが長かったの何の。彼らは機械についてはあまり詳しくない所もあるが、イラン随一のカーメーカーから派遣された若きエリート技術者達。頭脳明晰で質問もなかなか鋭かった。
今日、なんとか最終日を迎えることが出来た。
鋭い質問にタジタジになりっぱなしで、満足してもらえたかどうかに付いては点で自信が無かったが、最後は皆が笑顔で挨拶と握手と記念撮影を申し出てくれて、ホッっと胸をなでおろした。
先生役ではあったが、正直言って一番勉強になったのは私自身だった。

この2週間、朝から晩まで彼らと過ごす中で、色々思うところも会った。
それを随時ここに書きつづけられれば良かったのだが、そうもいかなかったので、別の機会を設けて見たいと思う。

そうそう、イランでも米は主食で、ベレンジと言うそうだ。
そいでもって餅はクフテ ベレンジ なのだそうだ。
居酒屋で、揚げだし餅を美味そうに食べていたっけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月24日 (月)

やきもち

下の子はハイハイするようになった。まだ訳がわからず、お姉ちゃんのままごと道具に近づいて全部台無しにしてしまう。
上の子が下の子を叩いたり、噛んだり、大声で怒ったりする。
最近は慣れて来たが、始めにその光景を見た頃は結構驚いた。
幼児は正直だからだろうが、憎悪をむき出しで弟に攻撃を仕掛けている様に見えた。
ついつい、上の子を叱ったり、きつい言い方で咎めたりしてしまう。
すると娘は怒りの矛先を私に向け、
「お父さん、キライ!!」と泣き叫ぶ。
あ~失敗したぁ~。と思う。
大人の理屈で叱っても、解るわけ無いのはわかっているのだが・・・

ああ、難しい~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月 8日 (土)

風邪ひいた

家族全員かぜひいた。
妻、息子、娘の順で、最後にひいたのは私。今、娘と私が発熱中だ。
私のはそれほどでもないので仕事も出来ているのだが、娘は熱と咳が長く続いている。
2歳の娘は、まだ病気と言う物を理解できない様子で、ネンネしてなさいといっても従わない。
まぁ、グッタリするほどの重症ではないから、それほど気にはしていないが。
しかし先々週、妻がダウンしたときはかなり困った。

あたりまえですが健康が第一です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月 4日 (火)

泣き顔

子供達2人の泣き顔には明らかに違いがある。
上の女の子の泣き顔は「くやしぃ~」と言う感じ。
ちからいっぱい泣いていると言う感じだ。
下の男の子の泣き顔は「かなしぃ~」と言う感じ。
べそかいていると言う感じ。
娘の方は多分私似のような気がする。息子は妻だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月29日 (水)

覚悟!

一時的に元の職場の仕事をしている。
自分は結構得意分野の仕事だったのだが、散々な目に合っている。
昨日の昼ごろ始めて、夕方にはできているはずだったのだが、マシントラブルのため昨夜は午前様、今日も午前様となった。(今、真夜中というか明け方というか・・・)
ようやく目処がたったものの、久々に得意技を披露しようといい気になっていた私は大ショックだ。
ほんの2週間ほど離れていただけで、十分自分は過去の人になったような気分に襲われる。
未練は全くないのだが、自分は未だに腹がくくれていないのだろうかと疑ってしまう。
行くしかないのだと、もう一度肝に銘じて、残りわずかな夜を眠るとしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月21日 (火)

新入生

新しい職場に移って1週間ほどたった。
CAD(図面を描くコンピュータソフト)を使い始めた。
10年ほど前に当時のCADは使えたのだが、今のは全然触った事もなかった。
パソコンを前に、人差し指1本で恐る恐るキーを叩き、失敗して訳が解らなくなる恐怖におののくオジサンそのものだ。
解らなくなり、そっと誰かに助けを求め様と、近くにいる若者達を横目に見やる。皆真剣そのものの表情で画面に向かい、もくもくと仕事をこなしており、ついつい聞くのがはばかられてしまう。
それでも、勇気を出して聞いてみると、彼らは一生懸命教えてくれる。「そのうち上手くなりますよ」と励ましてまでくれる。「そう言われる方が辛いんじゃい!」と憎まれ口を叩いたりしている。まさに絵に描いたようなハイテク落ちこぼれジジイの様だ。

若い頃も、やはりCADを覚える時はそれなりに苦労した筈だが余り覚えが無い。
それよりも図面が出来あがって行くのが楽しみであり、自分の描いた図面が多くの人の手を経て実物に変る事への緊張と期待が大きかった様に思う。
今は、「どうなるのかな?」というワクワク感から「こうしなきゃ」と言う緊張感に変って来ている。
今まで長年いた会社の仕事にも関わらず、始めて知る事の多さと新鮮さに驚く毎日。良い経験が出来ているのでは無いかと実感している。

久々に書いたせいか、支離滅裂(いつも?)になってきたのでこの辺にしておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年4月27日 (土)

久々

今日、久々に同期入社の連中が集まり飲んだ。
3年間の米国駐在を終えたK氏の帰国祝いが名目の筈だった。
みなそれぞれの部署に散らばり、入社して12年目を迎えそれなりに職場の中核を勤める面々である。
普段、なかなか互いに話す機会もなく、K氏だけでなく他の面々とも久々に語った。
話題の近い同じ職場の連中との飲み会も、それはそれで楽しいが、普段あまり関係がないとはいえ同期の桜(古い?)と言うのはやはりなにか一味違ってよいものだ。
私の同期入社の連中はみな、結構自分自身の考えをしっかりと持っている。
そんな連中の熱い話や馬鹿話を聞いていると、また活力がわいてくるような気がする。
幸せなことだと、ちょっと思える時間であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年4月26日 (金)

ばーにんぐぶらっど

父が定年を迎えるまで1年を切った。
40年以上、現場叩き上げとしてがんばってきたのだが、最後の1年を事務処理の職場に移って過ごす事になったと聞いた。
今まで体力的にも精神的にも大変な仕事を続けてきた父である。最後くらいは静かに過ごす事が出来ても良いではないかと思ったものだ。
先日、母と話す機会があった。
母によれば、今、父はパソコンの前に座り、書類を手にやってくる人達の受付データ入力をしているそうだ。当然、パソコンなど器用に操られる筈もなく、父の所で処理が滞り、処理待ちの人達であふれてしまうらしい。こんな仕事、もう辞める!といつも怒っているそうだ。
哀れに思ったか?。
イエイエ。全然。
あとたった1年間、諦めて死んだフリすれば、晴れて定年の日を迎えられると言うのに、「辞めてやる!」なんてストレートに怒るあたり、悟った様な顔して感情をごまかす輩とは異なり、実に小気味良いではないか。
実は最近、私自身にも職場転換の話があった。全く異なる仕事。
30代半ばにして、新入社員と肩を並べて出なおし。今まで後輩と思っていた若手連中に教えを請う立場。
屈辱の毎日かもしれないが、不安などない。
私は最後の1年になっても賢く死んだフリ出来ない父の血を引いている。それにまだ30代前半。
まぁ、環境が変るって言うのは楽しみな事だ。
新職場の先輩諸君。ひねた後輩ですがどうぞ宜しく。
猛追かけますよ。それでね、すぐにカモってさしあげますからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年4月11日 (木)

3周年

4月10日で結婚3周年を迎えた。
その日は出張で帰りは遅くなることになっていて、お祝いは半ば諦めていた。
愛知県豊田市の出張先で仕事を終えたのは午後8時30分過ぎ。今日中に帰れるかどうかさえ微妙なところだった。
帰りの車中、運転手である後輩君に記念日であることを伝えると、なんと彼はひたすら高速道路の追い越し車線のみを***キロで激烈爆走してくれた。
そして11時には家にたどり着き、残り1時間となった3周年の日を過ごすことが出来た。
九州出張土産の博多明太をさかなに発泡酒で乾杯した。
ただそれだけではあったが、そんなのも悪くはないではないか。
後輩君、ありがとね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年4月 2日 (火)

二重

家に帰り、息子の顔を見ると、いつもと違った。
なぜかみょうにスケベくさい顔をしている。
なぜだろうかと思い、じーっと息子の顔を見ると。
右目だけが二重になっているではないか。
いままで一重のシンプルでかわいげのある目をしていた息子。二重だとそれはそれでかわいいのだが、なんと言うか子供に似つかわしくないゴージャスさをかもしだしている。

実は私も妻も両親たちも兄弟たちも、みーんな二重なのに、子供たちだけが2人とも一重。誰に似たのだろうかと思ってはいたのだが、まさか後でそうなってくるとは。

右目だけ突然二重になった息子。次は左目だろうか。そうなるとさぞやスケベくさ・・いやいや、かわいくなることでしょう。
でももし、またひとえに戻っても、それはそれでよいでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年3月29日 (金)

弁当

久しぶりに社員食堂のうどんを食べていたら、近くに座っていたもうすぐ定年を迎える方が話しかけてきた。
「おっ、今日は愛妻弁当なしか。珍しいな。喧嘩でもしたか?」
そう言って、しゃがれ声で笑い、その後、こう付け加えた。
「わしはこの前はじめて、おにぎり弁当を作ってもらった。四十何年の会社生活ではじめての事でな、妙に感激した。まぁ共働きだったからしょうがないけどな。」
本当かどうかは定かではないが、その人が手弁当を広げている所を、そう言えば見た事がなかった。
我が家では、ほぼ毎日妻が弁当を詰めてくれている。その方が安上がりなので、家計を捻出する努力の一環と言う意味もあろう。
共働き等の理由で毎日外食の生活を余儀なくされる人から見れば、手弁当生活は優雅にうつるのかもしれない。
しかし、共働きでない分、家計は苦しい。今は良いが、将来的にはサラリーマンの妻への年金給付はかなり厳しいものになる事も目に見えており、不安もある。子供が学校に入れば教育資金も大変だろう。
育児が少し楽になれば、外に働きに出て、夫の少ない稼ぎをカバーしてもらわなければならない。
従って、手弁当生活もそのうち終りが来るのかもしれない。
今のうちに、よぉくかみしめておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年3月25日 (月)

日産

最近発売となった日産マーチが、アパートの駐車場に停まっている。
隣にはトヨタのヴィッツが停まっていて、とても比べやすい。
この2台、寸法も大きさも形も大変よく似ていて、真似をしたのが一目瞭然。違うのは、マーチのほうが顔が変なところ。残念ながらあの顔で、ヴィッツやフィットのシェアに割り込むことが出来るとはおもえません。
あの手の車は、一部の物好きに売れる程度では話にならないはずだとおもうのですが。
ヴィッツもフィットも存在しないなら、あの顔でもなんとか旧型マーチの手頃で経済的で飽きの来ない好もしさを受け継ぐことが出来たかもしれないが、3匹目のドジョウでハゼみたいな車出してもなぁ・・と素人は考えます。
日産殿はゴーンさんのおかげで、コストダウンが出来て、業績回復はおめでたかろうが、それは業績が悪すぎた以前と比較することで成り立つ話で、やはり車が売れなければだめではないのでしょうか。ところが相変わらずかっこ悪い車しか作っていないし。売れ行きが改善しているとはとても思えない。
そう言えば最近トンと見かけないが、サニーってまだあるの?ブルーバードは?スカイラインは?
車が売れなくても、取引先さえいじめていれば儲かり、ベア実施も可能というわけか。
一部では日産車不買運動さえ起こっていると聞く。そんな運動したくても、買う車がないので初めから売れないと思うが。
来年、新たに17車種投入すると聞いた。青と赤の販売店が爬虫類で一杯になるのだろうか?
それはそれで見ものだ。入場料取ったら?そのほうが儲かるかも!!
昔は好きなメーカーだったのですが、昨今の日産殿の迷走ぶりを見るにつけ、残念でなりません。
以前は日産車は、見た目さえ気にならなければ、ハード的には大変良い物が多いと思えるたので・・・。

ps
日産車購入をご検討中の方には、甚だ不愉快な内容であったかもしれなかった点、お詫びします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

拒絶

娘の頬にチューをした。
すかさず娘は、拭いた。
手のひらで
ごしごしと
何度も何度も。

娘に「ちゃんとおかたづけなさい」と言った。
「おとうさん、キライ!あっち行け!いやいやいや!」
と、コテンパンに嫌われた。

更に言い聞かせると、
「いいの!お正月だから!!」
??????
完全に嫌われたのかと思ったが、結構、訳もわからず言っているようで何よりであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年3月 5日 (火)

2002年 ワープの旅

娘が私に、「じゅんちゃん、また旅にでちゃったの」と言う。
じゅんちゃんとはゼロ歳の長男の事だ。
なんのこっちゃ?と妻に聞くと、長男は最近仰向けのまま、そこかしこに出没するそうだ。
大座布団の上が息子の定位置なのだが、ちょっと目を離すと全然違う所に仰向けのままワープしているらしい。その様を長男の”旅”と表現しているとのこと。
大抵は部屋の中を移動し、タンスや壁に頭が当って行き止まりになり、彼の旅は終了するのだが、このまえは隣のキッチンの板の間の真中までワープしていたらしい。
運良く行き止まらずに旅を続ける事ができたようだ。
見つけた妻は、一瞬何が起ったのか解らなかったそうだ。
座布団の上で横になっている乳飲み子が、そのままの形で台所の床に置いてあれば、誰でも驚くだろう。
長女の時は、それ程でもなかったが、流石に男の子だからか、全然動き方が違う様に思う。

まだ寝返りさえ打たない息子だが、目が離せなくなってきた。

しかしまさか・・ホントに超能力かなんかでワープしてたり・・・
するわけないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年2月26日 (火)

息子が仰向けになって機嫌良さそうに笑っていたので、ちょっとちょっかいを出してみた。
最近やっと機能し始めた息子の小さな手を、指でつついてみた。
息子は私の指を掴んだ。
「おっ!掴めるのか」
と驚いていると、息子はフテキな笑みを浮かべつつ、つかんだ私の指を口へ持っていった。
「おっ!ものを口へ運ぶ様になったのか」
と驚いていると、息子はそのまま私の指を口に入れた。
歯茎で噛まれたって痛くないわい。とたかをくくる私。
多分おっぱいと間違えて指を吸うだろう。そして美味しくない指を吸って、息子は「うぇえ~」と顔をしかめる。
・・・筈だった・・・。

なぜか、噛まれた指が、かなり痛かった。
思わず指を抜く私。
慌てる私を見て、息子は得意げにフテキな笑みを保ち続けている。

歯が生え始めた様だ。
おにょれ、腕白小僧め! 早くもお父さんから一本取りやがった!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年2月21日 (木)

おねえちゃん

最近やっと腰がすわりはじめた弟とカウチにならんで座って、写真を撮ってもらうのが、娘のマイブームだ。
このまえも、私が弟君をカウチに座らせると(置くと言った感じだが)娘が飛んできて、「一緒に座るから写真撮るんだよ」と、私にアピールした。
狭いカウチの弟の隣に、お尻をねじ込む様に座った娘。いままではただそれだけで、特に弟君はなんの反応もなかったのだが、最近は少し事情がちがう。
最近は多少自分の意志で手を動かす事を覚え始めた弟君。しかしまだまだ堅いものを持たせると、それを振り回し、ガンガン自分の頭を殴ってしまうので危険だし、素手であっても手あたり次第に叩いたり(本人は触っているつもりか)引っ掻いたりする。やられると結構痛い。
従ってそばに座った娘は、ほとんどコントロールされていない弟君の手の餌食になってしまう。
かくして娘は痛さ我慢しつつ、それでもけなげに作り笑いでシャッターが下りるのを待つ。そのあいだも弟君は涼しい顔で攻撃を続け、なにが起っているのか、トンと気付かぬ様子。
散々顔や頭を叩かれ擦られ引っ掻かれ、それでも必至で笑い顔をキープし、弟を可愛がろうと頭をなでる娘の姿に、お姉ちゃんになるための試練と戦う姿を見た。
がんばれ!ちっちゃいおねえちゃん!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年2月 6日 (水)

娘のお料理

先日、一泊だけ娘を実家にあずかってもらった。別に都合が悪かったわけではなく、実家へ遊びに行ったら帰りたくないと言い出して聞かなかったためだ。おいてゆく時は夜に泣いたりしないかちょっと心配だったが、爺さん婆さんが見てくれれば安心だろうと、お任せすることにした。
翌日の昼ごろ実家に電話をして様子を聞いた。泣くどころか実に楽しく有意義な時間を過ごした様子だった。
なんでも婆さんと「あんまん」を作ったそうだ。2歳の娘がまともな手伝いなど出来るはずもなかろうと思うのだが、粉まみれになりながら大奮闘し、まんじゅうにあんを入れる作業を行ったそうだ。
娘を迎えに実家へ行き、その「あんまん」を拝見。中にあんこが入っていると言うよりも、皮の生地にあんこが混ざっていると言った状態。
姿はあんまんとはいささか異なるが、味は大変美味しかった。
婆さんによれば、出来上がりを見た娘は「ばぁちゃぁん!あんこ、でてきちゃったぁ!」と大興奮だったとのこと。
その日はあんまんのほかに、かき餅を作る手伝いもしたという。硬いかきもちを電子レンジで一旦加熱して油で揚げるのだが、娘は電子レンジで1分間加熱する作業を担当。ダイヤルを正確に1分に合わせ、加熱が終わると婆さんを呼びに行くのを難なくこなしたと言う話を聞き、わが子ながらちょっと誇らしい気持ちになった。
親がいなくても、結構たくましく色んな事に挑戦しながらやってゆくのだなと少し嬉しかった。まぁ、よく知っている婆さんと一緒なのだから当然かもしれないが。
こういうのを親ばかというのでしょうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年1月22日 (火)

最近の息子

生後4ヶ月を経過した我が息子は、人が話し掛けるとかなり大きな声で笑うようになった。
私が愛想をすると、にへぇ~と笑う。機嫌が良ければ手足をバタバタさせてキャッキャと奇声を上げたりする。
ところが、妻がそばにいると反応はガラリと変わる。
妻が話しかけると、ニッコリと笑い、嬉しそうな声をあげる。まぁここまでは、普段私が話しかけた時の反応と大差ない。
しかし、話し掛ける妻の顔と息子の顔の間に、私が顔を割り込ませて話しかけたりあやしたりすると、ほぼ完全無視。視線を合そうとさえしない。それどころか「邪魔だなぁ。お母さんが見えないじゃないか」と言うかの様に私の顔の後ろにある妻の顔をを探すようなそぶりをする。
あれっ?と思い、一旦顔を引っ込める。
妻が話しかけるととたんににっこり。
私が割り込んで話し掛けると、再び先ほどのつれない反応。
何度繰返しても同じ。ほとんどスイッチの様だ。
まるで私の顔が光電スイッチを遮る障害物の様にクルリと態度を変える。

まだ何も解らない赤子かと思いきや、授乳したりおんぶしたりしている妻をちゃんと見分けている様で、それはそれで結構な事だ。
しかしちょっとばかし淋しさを拭い切れないお父さんであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年1月14日 (月)

ブロードバンド

最近流行のブロードバンド。ケーブルインターネットやADSLなどの高速常時接続回線で、従来のアナログモデム接続とは桁の違う通信速度と繋ぎっぱなしで定額料金というところが受けて急速に普及している。
特殊な工事が必要ないADSLに、昨年末ごろに私も申し込んだ。ところが・・・・。
プロバイダから「お宅の電話回線は光ファイバー収容なので、ADSLは開通できません」と鬼のような通知が来た。
なんでも、家庭から最寄のNTT収容局までの間が電線ならOKなのだが、一部でも光ファイバーが使われていると駄目なそうな。
ADSLは利用可能な地域が限られており、我が家はかろうじてその範囲に入っていたと喜んだだけに大ショックだった。
我が家はケーブルテレビこそ入っているものの、アパートなのでケーブルインターネットは利用できない(工事が出来ない)。
今更64kのISDNを新規で引く気にはなれないし、やはり当面はアナログモデム接続しかなさそうだ。
電話回線の光ファイバー化は結構進んでいるらしく、そのうちFTTHなども普及してくるのではあろうが、今月来月の話ではあるまい。
中途半端に田舎で、中途半端に町だったがための悲劇と諦めるしかないのだろうか?
結局はNTT回線を使うサービス、プロバイダを変えたところで結果は同じだろう。
友人知人が次々とADSLを開通させ、その快適さを謳歌しているというのに。ああ、残念。
毎月何十万人のペースで増えているADSL。そんなに普及すると天敵である光ファイバーの敷設の妨げにならないのかと、FTTHに望みを繋げる者としてはちょっと心配だったりもする。
それとも・・・、引っ越しちゃうかぁ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年1月 5日 (土)

一年の計

正月休みのある日、妻と乳飲み子の息子を残し、私と2歳の娘と二人でお出かけをした。
いつもは娘を後部座席のチャイルドシートに座らせているが、パワーベストがあるので助手席に座らせることにした。運転する私の様子を不思議そうにながめながら、シートにちょこんと座る姿はなんとも愛らしい。
近所のミスタードーナツに行って、ドーナツ3つと飲み物を注文し、小さなテーブルに合い向かいで座った。娘は私に似たのかチョコレートの掛かったのが好みのようで、口の周りをカールおじさんの髭のようにチョコを付けながらかぶりつく。
まるで漫画のような口の汚し方に思わず笑うと、娘も髭ずらのままニッコリと笑い、「とうやん、はんぶんこしよう?」と言って、チョコがはみ出そうが、形が崩れようがものともせず、小さな手でドーナツを2つの物体に引きちぎった。
その様子の可笑しさに笑いが止まらない私を見て、娘は嬉しそうに髭ずらで笑った。
実に楽しい時間だった。
普段、下の子と一緒にいるときは十分にかまってもらえない欲求不満を蓄積している娘。まだ2歳ながら必死にがまんしている。決して弟をたたいたり虐めたりはしないが、そのストレスからか、時折どうしようもなく駄々をこねたり泣き喚くことがある。
私もちょうど急いでいる時などにそれをされると、ついカッっとしてしまうことが幾度となくあった。
しかし、娘と二人で遊んでいるときはあれほど楽しいのだ。それを失いたくないと思った。
私にとってはかなり難しいことではあるが、年頭に当たり、家で短気を起こさない事を今年の目標に決めた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年12月22日 (土)

息子

すっかり更新がご無沙汰になってしまった。
忙しいのにかまけて放っておいたら知らぬまに2週間近くが過ぎようとしている。師走とはよくいったものだ。

生後3か月を経過した息子は、時々「あー、うー」と嬉しそうに話す?ようになった。
一人ぼっちにしておくと淋しいのか泣き出したり、あやしてやると嬉しいのか「あーうー」を言ったりする。
自分以外の人間を意識しているようだ。
まだ首が据わらないが、うつ伏せに寝かせると両手で地面を踏ん張って頭を起こそうとする。見ていると結構辛そうなのだが、本人は泣き出す様子も無く、懸命の努力をひたすら続ける。
男の子だからか、下の子だからか解らないが、今の所結構たくましい。

もう何年かすれば、こやつとプロレスごっこをしなければならない。
父と子のプロレスごっこでは、息子がある程度の年齢になるまで、父は決して負けてはならない。
息子よ100連敗の苦渋をナメさせてあげるから、早くかかってきなさい。それまでに父も体を鍛えて待っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年12月10日 (月)

新しいパソコン

新しいパソコンを買った。
家電主体の電気屋に行って、そこにおいてあったのをその場で買った。
NECの超ミーハー機種。以前は自分なら絶対買わないと思っていたタイプだ。
この手の初心者向けPCは、ゴテゴテと使えもしないソフトがどっさり付いていて、実はあまり好きではなかった。
ところが自分も年をとったのか、真剣にスペックを検討して買う気が殆ど失せており、最近のパソコン事情に全く疎くなっていたこととあいまって「まあいいや」といいかげんに決めてしまった。

とは言え、後悔はしていない。
既にPC無しの生活ができない体であるにも関わらず、ちょうど買い換えの時にPCにこだわる知識も気力も無かったというのも、1つのめぐり合わせだろうと感じる。
結局今の自分に似合った選択をしたと考えている。
だから何を買ったにせよ、これからこいつをバリバリ使い倒すつもりだ。
AMD-Duron900 + Windows XpのこのPC。何時まで使えるかは見当もつかないが、次の買い換えの時にはPCの選択権が私から娘か息子に移るような頃まで使えればいい。
「おとうさん!こんな古いパソコンじゃ宿題できないよぉ!」
「何を言う!不自由さを工夫でカバーし、涼しい顔をしている事こそが、エレガントな生き方と言うものなのだ!」
「なにそれ?わけわからない」

いずれ時代に取り残されるであろう新しいパソコンを前に、平和な空想をしてみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年12月 6日 (木)

ただほど高いものはない?

先日、職場の福引で当ったデジカメ。
早速使おうと思って近所の電気屋さんへコンパクトフラッシュメモリーを買いに行った。
64MBで5000円。最近IT関連商品の価格事情にとんと疎くなってしまっている私には、高いのか安いのか解らなかったが、カメラはタダで頂いたのだからと、あまり気にせず買って来た。
早速カードを本体に挿入。
すると電源も入れていないのにフォーマットを要求するメッセージ。
気の早いやつだと思い、指示通りにフォーマットする。
3秒ほどフォーマット中の表示がなされ、再びフォーマットを要求する画面に。
おかしいなと思いつつも再挑戦。そして同じ結果。他の操作もできず電源も切れない。
嫌な予感がしてきた。壊れてるのか、それともカードが合わないのか?
その後、カードを買った電気屋と、カメラを買ったらしい電気屋に回って事情を説明した。貴重な休日が半分潰れてしまった。
原因は相性だった。メーカーが交換してくれるとの事で、着払いで送ってくれとの事。
取敢えず年賀状画像作成には間に合いそうもない。
お金はかからないとは言え、どえりゃぁ損失だで。

SANYOのDSC-R1はADTECH製のメモリーだと動きませんです。ハイ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年12月 1日 (土)

ラッキー?

11月の終り、私が勤務する部署の、ちょっと早めの忘年会があった。
その時行なわれたビンゴゲームで、1等のデジカメ(130万画素)をGETした!
デジカメを持っていなかった私には、非常に嬉しくありがたい。
幹事さん、部署の皆さんにこの場を借りて感謝申し上げます。
「どうも、ありがとさんでやんす」m(__)m

これでこのHPの写真も簡単に作成できそうだ。
今までHPで使っていた画像は、結婚前に買ったデジタルビデオから、静止画を専用ソフトでPCにシリアル転送し、データ形式を変換し、サイズを調整して、HPに載せていた。DVテープからの画像転送にはかなり時間がかかるので、結構大変だったのだ。
あ~これでめでたしめでたし!と、行きたい所だが、前回の「ひとりごと」で書いた様に、私のPCは今やなかなかまともに機能しない。このままでは、写真も撮るだけ。デジカメのちっちゃなモニターで見るだけとなってしまう。うぅ~むなしいぃ~…(ToT)

ITバブル崩壊で不況に喘ぐ日本経済の活性化に貢献するために、この際、PC買っちまおうかな…。
年賀状問題もある事だし…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月28日 (水)

困った!

4年間愛用してきたノートパソコンが壊れた。
当時30万円超の大枚をはたいて購入した愛機(Panasonic Let's Note AL-N2515J5)は、電源を入れてもハードディスクが回転し始めるだけで起動しない。
ただなぜか50回に1回くらいはなんとか起動する。完全にダメになるのも時間の問題だろう。
CPUは150MHz、ハードディスクは1.6GBと、今時のPCの性能には遥かに及ばず、何をするにもちょっと窮屈にはなってきたのでそろそろ買い替えの時期かとも思わないではなかったが、ゲームや動画を扱う事さえなければ十分使えた。
今時携帯電話を持っていない私には貴重な通信媒体でもあった。
年賀状作成を控えたこの時期、実に困っている。
症状から察するに、多分修理などは難しいだろう。買い替えと言っても、買物に異常なほど慎重な私には、安くなったとは言えパソコンなどという高価なものをパッと買い直す事など到底不可能だ。じっくりじっくり、他人から見ればアホじゃなかろうかと思われるくらい「あーでもない、こーでもない」と考え、周囲が完全に愛想を尽かしてからもなお、えっちらおっちら小首を傾げながら考える事を幾度と無く繰り返す。結果、1度買ったものはケチョンケチョンになるまで使い倒す事になり、この様な事態を招くのだ。
買いモノに迷うその過程が楽しいと言えばそうなのだが、ちょっとやりすぎかなと自分でも思う事がある。
まぁ、そんな事はいいとして、とにかく年賀状と言うハードルを越えねばならない。
久々に手で書くか?
達筆な私の字では出さないほうが失礼が無くて良い様な気もする。
いやそれ以前に郵便屋さんが読めないかもしれない。

このHPの更新もこれからできるかどうか危うい。

ん~まいったぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月24日 (土)

サラリーマン

会社と労組で冬のボーナスの交渉中だ。
そう言う時期なので、労組には近隣各社の情報や関係会社の情報が色々と入って来る。
「○○パーセントの希望退職社募集」、「○日の一時帰休」、「労働時間○○時間延長」など、ニュースや新聞では少し以前から見かけたこんな言葉が、自分の身の回りの出来事として伝わってくるようになった。
ボーナスの金額など、ここ何年かは半年毎の支給の度に、グングン下がり続けているが、個人的には出るだけありがたいと思うことにしている。
じわりじわりと、密室で足元から水面が上昇してくるような不安に駆られる。
長年かけてやっと築いた現在の労働条件も、「企業存続」の大義名分のもと、どんどん切下げられて行く。
メーカーで働く自分から見ると、今の状況の原因はやはり価格破壊。とにかくびっくりるするくらいモノの値段が下落している。(なんで家賃だけ下がらんのかなぁ・・・)
先日聴いたラジオ番組のDJは、低価格化を両手放しで大歓迎する事を全くためらわなかったが、資源を持たず、加工貿易で発展し続け、モノ作り大国と謳われるまでになったこの国の多くの人々にとっては、必ずしも歓迎されるばかりではない。異常だ。
しかし、いずれは通るべき道にやってきたのだろう。
労働の価値を切り下げるか、付加価値の高い能力を獲得するか。
いずれにしてもホワイトカラーのサラリーマンの価値など実に危うい。なんの潰しも利かない仕事に、早朝から深夜まで一緒に暮らす家族の寝顔しか見れないくらい費やしている場合ではないのかもしれない。
ところが現実には、自らの健康を省みる余裕すらなく、会社でせいぜい働くだけ。

しかし、それを如何に受け入れ、楽しむか。そこから始めなければ、希望も夢も持ち得ない。
最後に後悔せぬ様に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月21日 (水)

お父さんのお薬

日曜日、2歳の娘と近所の公園に行った。
休日には、妻の家事を助ける為もあり、娘とよく公園に行く。その日は天気は良かったが風が冷たかったので、途中で暖かい缶ジュースを買うことにした。
「今日はお父さんと一緒やでな。お母さんには内緒やぞ」
と硬貨を入れる私。たかがジュース1本だが、イタズラっぽく笑う嬉しそうな娘の表情に「2人の秘密」と言う気分が盛り上り、なんだかワクワクする。公園について、2人で飲む缶ジュース。味は普通だが妙に楽しい。

公園に砂場と滑り台とブランコとシーソーがある。でも今日はさっき飲んだ缶で、缶けり遊びだ。缶を蹴る事が初めての娘は、すぐにこの遊びが気に入った様だ。
2人で1個の缶を蹴り合ううちに、娘がはしゃぎすぎて転んだ。
娘は大声で泣き出し、砂がべっとりと付いた手のひらを出して、
「おててあいたたぁ~。おくすりぃ~」と泣きじゃくる。
薬なんか無いのだが、とっさにあるおまじないを思い付いた。
「よし!ほんならお父さんのお薬、つけてやるさ!」
けげんそうだが何かを期待する表情を見せる娘。でもまだ泣いている。
娘の手の砂を払い、私の手で娘の手を包みその中に息を3回吹き込んだ。そして娘の手をギュッと握り、「ほおら、なおるじょぉ」と唱えると、娘の顔がほころび始めた。お父さんの行き当たりばったり作戦大成功だった。

その日の夕食後、娘は妻に今日の報告をしていた。
「ゆうちゃん、ころんで、泣いちゃった。おとうさんの、おくすりで、なおったね。」
一生懸命に説明する娘の姿を見て、本当に良かったと感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月15日 (木)

お姉ちゃんになった娘

上の子が情緒不安定ぎみだ。
下の子が産まれてからの、親や回りの大人達の様子に戸惑っている様だ。
それまでは周囲の、特に母親の注目を一身に集めていた娘だが、母親は授乳のためにしばしば弟に取られてしまう。私も下の子を抱いたり眺めたりするのだが、そんな時の娘の表情には、自分に注目が戻ってくるのを待つ様子がハッキリと表れている。
だから息子をあやす時は、「ほら、こっち向いたね。今、動いたね」などと娘になるべく話し掛けながらする様にしている。その時は娘も弟を見ながら「こっち向いた!動いた!」と嬉しそうに応えるのだが、それは単に私に気を使って答えてくれているのであって、必ずしも弟に興味を持ってやっている様には見えない時もある。
さらに、私が話しかけなくても、自分から「赤ちゃん○○したよ!」と私に話しかけてくる時は、素直に弟の様子に反応している場合と、私の気を引くためにしている場合がある。
なんだか、不憫におもえてくる。
とにかく安心させてやる事が第一なのだと思う。妻はその点は良く心得ていて、「かわいい」とか言う誉め言葉は、理解できない下の子にではなく、全て娘に掛けてやるべきだと主張する。
「そうだなぁ」と、珍しく素直に思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月10日 (土)

4人家族

妻と子供達が帰ってきた。
一気に賑やかになった我が家。
いままで悠悠自適の一人暮しをしていた父の居場所は一気にシューッとしぼんで消えちゃった。短けぇ夢だったなぁ・・・。
しかし、これが我が家の本来の姿。週末はまた、以前のように家族を連れてお出かけしなければならない。
手抜きの下手な妻にはも2人の幼児の世話と家事をこなすのは大変だろうから、平日は可能な限り早く帰って子供を風呂に入れなければならない。ご飯も食べさせたり、おしめのとり替えも手伝わねばならない。
んん~、なんちゅういい夫だろう!
ただし、どれだけやれるかは解らない。あまりできないかもしれない。理想と現実は異なるのが常だ。(笑)
私は料理とか掃除とかがからっきしダメだし。

冗談はさておき、とにかく現実的には大変な生活が始まった事は間違いない。しかし、毎日家族の顔と子供の成長を見届けられる生活ができる事に感謝する事は忘れるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年11月 6日 (火)

スーパーにて

スーパーで買いものカゴをかた手に、一人わびしくを買物をしていた時の事。
とある女の人が1歳半くらいの息子と思われる幼児と歩いているのを見かけた。
そのお母さん、年齢は20代後半くらいと思われるのだが、何と言うか細く鋭い目つきをしており、表情も無く、お世辞にも愛想の良い顔とは言えなかった。失礼ながら鉄仮面という言葉が思い浮かぶ顔だった。
男の子はお菓子か何かに気を取られ、お母さんはそれに気付かず数歩歩いていった。
お母さんが離れた事に気づいた男の子は、お母さんを呼びながら走って(歩いて)行ったが、慌てたために途中で転んだ。
それを見たお母さんはどうするのだろうと、私はちょっと離れた所で見ていた。
男の子は「助けて」と言わんばかりに顔を上げ懇願するような表情をしたが彼女の鉄仮面は一切緩む事なく、突っ立ったままジッっと息子の顔を見据えるばかり。まるで睨んでいるかの様だった。
その迫力に諦めたのか、男の子は自分で立ち上がり、両手を広げて母親の元へ。
すると鉄仮面は片方の口もとだけをかすかに緩め、膝を折ってしゃがみ、息子を抱き上げ頭をなでた。
余りにクールな鉄仮…いや、お母さんの行動の中に、父親像を感じてしまった。
これから自分も息子との付合いが始まるが、なんとなくハッとする出来事だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月31日 (水)

大人の遠足

明日は大人の遠足だ。
電車に乗って2時間ほどの琵琶湖のほとりへ1泊の遠足だ。
サンダーバードに乗って行くのだ。
おやつは何を持っていこうか。時間つぶしには何を用意しようか。
駅そばも食べなあかんし、スポーツ新聞も読まなあかん。コーヒーも飲まなあかんし、晩はビールも飲まんとあかん。
ネクタイは、どんなのして行くかなぁ・・・・・・。

実は明日は京都北部で会議だ。
これまで4年間、月1~2回くらい大坂や広島や京都とかへ会議等で出かけた。
知り合いもできた。大変な事もあったがいい事の方が断然多かった。
それももう終り。今月が最後だ。来月からはこの機会を新人に譲る。

残り少僅かとなった大人の遠足、堪能してこよう。
まだすっきりしない風邪を癒すにも、良いかも知れぬ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月27日 (土)

国民栄誉賞

イチローに国民栄誉賞を贈る事を検討していると報じられた。
確かにイチローの成績は凄かったし、活躍にみんな興奮した。
パワー重視のアメリカで内野安打の多いスタイルが批判的な見方をされるどころか、その凄さを認めさせた。
野球に興味があろうと無かろうと、日本人みんなにとって痛快この上ないことだ。
しかし、ニュースを聞いた時、あまり嬉しくなかった。正直言って「またかぁ?すきやなぁ!」と思った。
政府の偉いサンたちもイチローの活躍が嬉しかったのか、国民に受けているイチローを認める行動をとる事で気を引こうとしたのかは知らないが、権限に物を言わせて使ってそういう名誉ある賞をおもちゃにするかのようにホイホイと乱発すべきではない。
高橋尚子の時も、オリンピックは参加する事に意義があって云々言われる割には、「日本人初の快挙に国民栄誉賞を!」には疑問を感じた。田村亮子の金と何の違いがあるのかも解らなかった。
その後のニュースで、イチローが受賞を辞退したと聞いた。
そういう賞を頂けるのであれば、自分の野球人生が終わった時に頂きたいとのことだ。
思わず拍手をしてしまった。
彼にすれば、まだまだ野球界でやるべき事があって、今期の結果は通過点に過ぎないのだと言う高い志が感じられた。
しかも、同じ辞退するにしても、「賞なんて興味ないね」と言うような横着な態度でなくて、ちゃんと賞への敬意も感じられる対応に更に感動した。
与える側の政府の偉いさんの方こそ、もう一度、賞の重みを噛み締め、敬意を払う事をイチローから学ぶべきだと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月22日 (月)

SHOGO MUST GO ON

子供たちをおふくろに預けて、妻と二人で、浜田省吾のコンサートに行って、今帰ってきた。
昨年の春以来だから1年半ぶりになる。
今回はアリーナツアーと言う事で、大きな会場限定のツアーだそうだ。北陸では福井だけ。
たっぷり3時間半、正面と観客席のど真ん中のセンターステージの2個所を使って、全27曲にもおよぶ演奏と語りと映像の最高のショウだった。
いやぁ本当に楽しかった。良い酒に酔うよりも何十倍も弾けてしまった。良い汗かいたし、喉が変になるほど大声張り上げて歌い、笑い、じっくりと鑑賞もし、ハシャギまくった。総立ちのどさくさに紛れて、前の席の背もたれを500回くらい叩きまわした。(迷惑はかけてないよ)
ちなみに前の席は大きな娘を連れたおばちゃんだった。おばちゃんは結構ノリノリだったが、隣の娘さんは興味無いらしく暇そうで、時々私の方をチラチラ見ながら、「なんだ?このおっさん」という感じだった。(お嬢さん、ごめんね、イッちゃってて。でもこの日ばかりは、はしゃぎ過ぎのオヤジも許して欲しい)
6000人の観客。ある程度の年齢の夫婦(らしきカップル)が多かったのも印象的だった。私の母親の年代のおばさんが「ショーゴー!」と黄色い声援を送り、頭の薄いおじさんも拳を突き上げていた。幼い子供を連れた若いお父さんやお母さんもいて、本当にいいなぁと感じた。

帰ってTVを点けると、偶然浜省の特集番組の再放送をやっていて、実は今それを見ながら書いている。
今ごろ彼らはスタッフとともに食事でもしているのだろうか。
しっかし、喉と肩と首筋が痛い。それも含めてどっぷり浜省漬けの幸せな余韻に浸っている。
チケットを取ってくれた妻にも感謝している。またいつか行こう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月19日 (金)

寒ぅ

朝方、寒さで目がさめた。
どう言うわけか目覚ましが鳴らず、危うく寝過ごす所だったので助かった。
通勤の車の中では、ヒーターを点けた。真夏以来久しく使っていなかったので、微かに変な匂いがしたが、温風がとても心地よかった。
いよいよ、寒さを感じる季節が近づいてきたかと言う感じだ。
今年は7月が異常に暑かったせいか、8月が残暑、9月からが秋と言う感じで、暖かく過ごし易い時期が結構長く続いている様に感じる。
福井の例年は、夏が終ったらすぐに冬と言う感じで、秋がきわめて短いのだが。
秋の夜長と言えば、読書とかTV映画見るとかして過ごしたい所だが、どう言う訳か今年は専ら労働に勤しんでおり、貴重な時間を大いに無駄にしている。今は一時的に一人暮しで、自由気ままが許されるまたとない時期であるはずなのだが。
まぁ、家族を省みず遅くまで仕事漬けでいられるのも、ひとり暮らしの来易さのなせることだろうか。
季節はだんだんと寒くなるが、気持ちはそうならぬ様にしたいと思う、ほとんどぼやきのような今回のひとりごとでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月11日 (木)

コンビニライフ

最近、会社帰りに毎日の様にコンビニに立ち寄る。晩飯と朝飯を仕入れるためだ。
時間が遅いせいか、弁当コーナーは陳列が済んだ直後で品数が豊富だ。
とは言え、別になにか豪華なものを買うわけではない。中身と値段をよく見極めて、最も「お値打ち」なものを選ぶ。
しかし、毎日コンビに弁当では結構お金がかかるので、たまには何か作って…とも思うのだが、如何せん午前様近い帰宅後に炊事を始めていては晩飯を食べ終わるのは丑未ツ時になってしまう。
かくして連日コンビに弁当となるわけだ。
コンビに弁当はその名の通り、大変コンビニエント(便利)であるが、ゴミが一気に溜まるのが難点だ。
プラスティック製のパックは燃えないゴミにあたり、私の地域では月曜が収集日だが、最近は月曜休日が多いのと、出し忘れとで3週間ほどゴミを出していない。
たまに妻がアパートにやってきてゴミの整理などをやってくれている様なので事なきを得ているが、本当に一人暮しだったら、我が家は夢の島になっていただろう。
誰の言葉か知らないが「男ヤモメにウジがわく」とはよく言ったものだ。
ウジなどわかない様に「健康で文化的な最低限度の生活」を送りたいものであるが、果たしてどうするべきか、考える間もなく明日の帰りもコンビニだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月 1日 (月)

出産後、妻は長女を連れて実家へ里帰りしている。
実家のご両親からは、いつでも息子を風呂に入れに来てと言われているが、平日は帰りが遅くなり、とても訪問できる時間には行けない日が続いた。
土曜になって、ようやく夕方退社でき、妻の実家へ行く事ができた。妻も息子も順調そうだったし、娘は相変わらずとても元気だった。
息子を風呂に入れ、娘と遊んだ。
息子はこの1週間の間に臍の緒がとれ、ちゃんとしたへそになっていた。
娘はとにかく大ハシャギで何度も何度もわたしに飛行機遊びをねだった。
飛行機遊びとは、私が仰向けになって、足で娘を持上げて揺らす遊びだ。
私自身、子供の頃父や母にしてもらったのを覚えている。
一通り遊び終えて、そろそろアパートへ戻ろうと身支度をし、玄関に向うと娘がついてきた。なにか必死の様子で自分の靴を履き始め、「いっしょに いくの!」と私に言った。
そのまま妻の制止を振りきり、外の車のところまで私に付いて来た。
妻は「いっしょにいかないの」と諭すが、車のドアの所で「あけてー」と泣く娘。
なんだか幼児虐待しているような心境で運転席に乗り込む自分。
窓を開けて振りかえると、状況を悟ったのか、妻に抱き上げられた娘は、「とうやん、ばいばーい」と手を振っていた。
ついこのまえ二歳になったばかりの娘の、分別をつけてバイバイしている姿はいささかこたえた。
ちょくちょく顔を見に行きたいのだが、どうもはばかられてしまう。

アパートでの独身のような生活は楽ではあるが、家族のことは頭から離れない。
みんなが戻ってくれば、それはそれは大変な戦争が待っているのだろうけれど、それを待つような心境も、少し、ある。    今は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月25日 (火)

名付け

長男の名前を1週間かけて考えた。
実は産まれるまで何故か女の子だとばかり思い込んでおり、男の子と聞いて少々驚いた。名前など全く考えても見なかった。
週末は部屋に缶詰になって、姓名判断の本と格闘した。
こんな名前はどうかな?と、先ずは音で決め、字を当てはめる事を繰り返した。
これは良い字だと思って画数を調べると、生きるだけ無駄じゃん!と言わんばかりの酷な判定。そんなの気にしない!と思い込もうとしても、自分自身の事でないだけに、踏ん切りが付かない。
また考え直すと、だんだんと力が入ってきて、しまいにはガチンガチンに気合の入った、名前か熟語か分からん様なけったいなものになってきた。
これではいかんと、知人の名前などを思い返し、その字面を変え、判定で凶とでる。
そんなこんなを繰り返し、最終的に決めた名前は、妻が出産前からなんとなく考えていたもの。私の格闘はすべて徒労に終わった。
しかし、何も解らずに寝床で遠くを見る様な目をしている息子はきっと、この名前を気に入るだろう。
なんとなく、そんな気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月18日 (火)

長男誕生

さっき、長男が産まれた。
昨日、この「ひとりごと」で、予定日まであと5日とかなんとか、悠長に書いた矢先の事だ。
夕方連絡があったにもかかわらず、前回同様6時間後くらいだろうと勝手に思い込み、ゆっくりと病院へ行ったらもう産まれていた。
妻からの電話が会社にかかってきた時にさっさと病院へ向かうべきだったものをモタモタして、更に家に帰って腹ごしらえまでしていた。
思えば「う~くったくった」と思っていた頃、妻はひとりで長男を産んでいたのだ。
今回は私がへその緒を切ると妻に約束していたのに、それも果たせず。

あー、一生の不覚!!

妻へ、おつかれさんでした。よー頑張ったね。&すまなかった。
まだ名も無い息子へ、肝心な時に間に合わない父を許してくれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月17日 (月)

あと5日

二人目の出産予定日まであと5日となった。
一人目よりもはやまると聞くが、そうならもう今日にでも可能性はあるわけだ。
妻も不安があるのだろう。ここの所よく眠れないと言っている。
予定日が設定されているものの、当然の様にずれるので確実にあと何日でその時が来るとか、あと何日で終わるとかが決定できないので、なおさら不安は大きいだろう。
幼い子供一人と二人とでは全く大変さが違い、倍では到底きかないとも聞く。
二児の母親として、子供達に十分に愛情を注いでやれるのかという不安も大きいのだろう。
将来への不安。責任を自覚する人間なら誰だって持っているだろう。
不安を解消しようとがんばっても、その人が自分の責任を自覚する限り、解消しきれる事はないのだろう。
しかし、きっと、そんな責任が何の前触れも無くフッと去って行く時も、来るのではないだろうか。
自分がいくら責任を感じたくても、拒まれるときが突然に。
その時に淋しくない様、後悔せぬ様、その時その時精一杯やらなければ。
精一杯やる。行動する。うごく。それだけ。
失敗したら、取り返しにまた精一杯うごけばいい。
そんな事を当たり前に積み重ねて行けたらと、小さな家庭の転機に思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月13日 (木)

テロ

アメリカでとんでもない事件が起こった。
皆さんご存知と思うので事実には触れない。
しかし、惨劇であるにも関わらず、あまりにも物凄い事で実感が沸かない。不謹慎極まりないが、映画でも見ているような、夢でも見ているような気持ちがぬぐえない。
福井でも原発周辺部の警戒を強めていると言う。
時間が経過し、被害状況が明らかになるにつれ、じわりじわりと実感がこみ上げてくるだろう。
ブッシュ大統領は如何なる対抗手段も辞さない構え。
「戦争」の二文字がどうしても頭を過ってしまう。

先日もここで書いたが、人生何があるか解らないけど、みんなそれぞれの人生の中で幸せになろうとがんばっている。
テロとか戦争とかって、そんな人々の生活の努力を、簡単にふみにじってしまう。
今まで、不景気不景気で、それが最大の不幸であるかのようにさえ思っていたが、戦争なんかになろうもんなら・・・。

我々は、どう受けとめ、行動すべきだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月11日 (火)

飲み屋にて

あまり飲めるほうではないのだが、最近、飲みに行く機会が多い。この前、新宿雑居ビル火災のあった夜も、偶然東京で飲んでいた。
普段なかなか(と言うか全然)飲む機会のない東京支社の面々と飲み、語った。
福井から遠く大都会の東京へ単身赴任し、お客と接する最前線で奮闘している人達だ。
福井で技術屋をやっている私には解らない不満も沢山あるようで、それにまつわる色んな苦労話も聞いたし、私も私でかなりうっぷん晴らしをした。
ふと、二十歳頃の事を思い出した。
当時学生だった私も、すねかじりの身でありながら一人前の顔をして居酒屋などに行ったりしていた。そこには当然サラリーマンの姿が多く、仕事や上司への不満を話を肴に飲んでいるのをよく見かけた。
その時の私は彼らを横目で見ながら「下らない奴ら。ああはなりたくない」と心の中で蔑んでいた。
いま、実際に自分がそう言う風になり、近くの席の若者達はどう見ているのだろうかと思う事がある。そう思いながらも、別にそれ程深刻な気持ちでもないし、自分達を下らないとも思わない。
感覚が鈍ってただのくたびれた親爺になったのか、今の自分を正当化しているだけの哀れな人種になったのか。いやいや、二十歳当時から私は、自分の中に彼らサラリーマンと同質のものを感じていた。だからいきがってあんな風に思った。なんとなく後ろめたさを感じながら。

なんか年寄り臭い感慨にふけった様になってしまったが、大都市の片隅で、ふとそんなことを思った。
ちなみに最近は飲み屋で「30か。いいなぁ」と感慨深げに言われる事がある。
それに対しては「そんなもんかなぁ?でも、そうかもしれんなぁ」と思う。
果たして20年後の自分はどう思うのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年9月 3日 (月)

日はまた昇る

浜田省吾のニューアルバムを買ってきた。新作発表は4年ぶり位だろうか?
個人的にお気に入りの曲の一つは「日はまた昇る」と言う最後の曲だ。
実は昨年の4月、フェニックスプラザで行われたコンサートに妻と出かけた。
初期の頃のものと最新のものを除けは、浜省の曲は殆ど知っているのだが、2,3良く知らない曲があった。その内の1つに非常に印象深い歌詞の曲があり、それが「日はまた昇る」だった。
全然違うかもしれないが、長渕剛の「STAY DREAM」を聞いた時と似た感動があった。
辛い、嫌だ、理不尽だ、なんで自分が?と思い煩う事がどうしてもある。しかし、別に珍しいことじゃないのだと思うだけで、結構楽になれる。
大変だろうが嫌だろうが、自分の置かれた状況のなかで楽しみを見つけて行くしか幸せになる術はない。
誰でも解っている事だが、つい忘れてしまいがちな事でもある。
自分にとって、それを思い出させてくれる切っ掛けに、この曲はなっている。

でも現実の自分は・・・ああ、煩わしい難問が山積みの毎日だ。思うだけで気が滅入ってくる。楽しむなんて言ったって、馬鹿じゃあるまいし、ねぇ。

でも、それを楽しみましょうか。
どうせなら。ね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月29日 (水)

寝顔に想う

娘と会えない日々が続いている。
別に出張でも何でも無い。平日は娘が起きる前に出社し、寝た後に帰宅するパターンだ。
遅く帰宅し、晩飯を食べながら、妻から今日はこんな事があったと、娘の様子を聞く毎日。
休日など、私が家にいるとき娘はなかなか寝ようとせず、12時近くまで起きている事もよくあるのだが、平日は9時過ぎには寝ると言う。
狭くてベッドも置けない寝室に、大人用の布団を2つひいて3人川の字で寝るのだが、妻が娘を寝かし付けていると、娘は私の寝る場所の方を見ながら、
「とうやん。いないねぇ。」と何度も話すのだと聞いた。
遅く帰宅し、食事をとり、シャワーを浴び、床に入り、既に眠りについている娘の顔を暫し眺める。
この子は今日一日、どんな事を見聞きし、考え、想い、泣き、笑い、驚き、喜び、歌い、走り、そして眠ったのだろうかと、我が子の寝顔に思う。
そうしているうちに、私もいつのまにか眠りに落ちて行く。

長期出張や単身赴任の苦労は知らない私だが、そんな境遇のお父さん達は、ふと妻子の事を想う夜を幾つも通り過ぎて行くのだろう。

さぁ、今日は娘に会えるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月24日 (金)

お姉さん!何をなさる!(@名古屋)

同僚と2人で名古屋方面に出張に行く機会があった。
約束の時間まで時間があったので、その日の打ち合わせ内容を確認しておこうと、近くの喫茶店に入った。
別に飲みたいものも食べたいものも無かったので、とりあえずホットコーヒーを注文して席に着いた。
書類に目を通しながら、今日の項目について話をしていると、程なくウェイトレスの大変キュートなお姉さんが、コーヒーをお盆に乗せてやってきた。
あくまで書類に目を通しながらも、視野の隅に大変キュートなお姉さんの動作をなんとなく見ていた。テーブルにコーヒーカップを置き、ミルクを置き…次に伝票を置くのかとおもったら、「コツン」と言う音とともになにか硬いものを置いた。
「ん? コツン…って??」
モーニングをやっている時間帯だったが、頼んだ覚えは無い。
「一体なにをなさるか、大変キュートなお姉さん!」と、そちらに視線を移すと、おつまみ菓子の小袋が乗った小皿だった。

喫茶店のコーヒーにおつまみが付くのは当然だと主張する名古屋出身の友人がいたと、以前妻が言っていたのを思い出した。
おお!これぞまさしく例の「おつまみ付きコーヒー」だ!と、一瞬の間、打合せの事を忘れて見入ってしまった。
話に聞いた時は何とも思わなかったのだが、いざ目の当たりにすると、それはちょっとした感動であった。

そういえば、道中に車の中で聞いていたラジオで、「おねうち」という単語を度々耳にした。
「お買い得」という意味で使われていたようだが、逆に「お買い得」と言う表現はほとんど使われていなかった様にも思う。
どうも名古屋で言う「おねうち」と言う言葉には、単に「お買い得」の意味だけでなく、なにか独特の文化的ニュアンスを持つ様に感じた。
きっと「おつまみ付きコーヒー」も、この「おねうち」スピリットの産物では?と一人勝手な空想を楽しんでしまった。
本当はどうなのでしょうか? どなたかご存知?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月20日 (月)

稲刈り楽ありゃ苦もあるさ

連休最終日の19日の午前中に実家から電話が掛かって来た。
明日から台風が来そうなので、明日までに早稲を刈り取りたいが、親父は仕事の都合が付かないので来て欲しいとの事。
私は思わず不満の声をあげた。娘を連れて行きたい所もあったし、臨月間近の妻に娘の世話や買物の負担を押しつけられないし、明日からの仕事の準備などもしたかった。
天候には逆らえないのは農家の宿命だし、内臓を患っている母と老いた祖父に無理はさせられない。
妻と娘には申し訳ないが行かせてもらうことにした。妻は私の体を気遣いつつ「行っておいで」と送り出してくれた。
実家では母と祖父が既に田んぼでふち刈りしていた。ふち刈りとは、稲を刈るコンバインと言う機械が向きを変えるスペースを確保するため、田んぼの隅の稲を手で刈り取っておく事を言う。
早速コンバインのエンジンをかけ作業開始。初日のせいかなかなか機械の調子が出ない。(というか操作する私の調子が出ない)
実家の機械は型が古く、収穫した米を袋詰にするタイプなので、一杯になった袋を次々に走り続ける機械から下し、田んぼの隅まで運び、トラックに乗せねばならない。機械を運転するよりも、実はこうした補助作業の方がキツイ。
袋を機械から下し田んぼの隅に運ぶのは母の役目。内臓疾患で体力はかなり低下している筈だが、この炎天下30kg近い袋を何十も運びながらも、終始私を気遣い、冷えた飲みもの等準備してくれた。祖父も家から冷えたスイカを持ってきてくれた。
始め不満を言った事を気恥ずかしく思いながら作業を続け、なんとか夕方までに2枚の田んぼを刈り取った。
私が帰るまで母と祖父の「おおきになぁ」は止む事が無かった。そして家に帰ると妻が「お疲れ様」と迎えてくれた。身に余る幸せに感じた。

機械化されたとはいえ、稲刈は辛い労働だ。始める前はかなり気が重い。しかし一族が一致協力する一大イベントでもある。全てを刈り終えた日の風呂の心地よさ、みなで味わうビールのうまさ、食事の楽しさは格別だ。
自分の家族を持ち独立した今、農作業からかなり開放された生活を送れるのは喜ばしい事だ。今の生活にもそれ相応の喜びと苦労がある。今回の様に突然のSOSで駆出される事も。しかし、そうして必要とされる事と、それを理解してくれる妻に感謝したい。

さぁ、今年の稲刈は始まったばかり。楽しい嬉しい最終日を迎えたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月14日 (火)

讃岐うどんは家でも美味いっ!

高松で土産に買ったうどんを家で試した。
うどんの茹で方のコツとは?
箸でかき混ぜてはいけない。差し水もいけない。湯はたっぷりと。…その程度しか思い付かない。
とにかく自分で美味く茹で上げる事が出きるか!あの時のコシが再現出来るのか!一発勝負だ!
不安と期待に胸を躍らせつつ、たっぷりの湯を沸かした鍋にうどんを投入。
火力もとりあえず最強。だんだんと吹き上がり、鍋の中で湯の対流に乗って麺が回り始めた。
なんか、良い感じだ。
うどんは茹で過ぎてフニャフニャになったら最悪だ。麺類は硬めが好きな私は、茹で過ぎない事に全神経を集中して対流する麺を凝視し続けた。
あんまりじぃーっと回りつづける麺を見ていたら、なんかクラクラッっと来てしまった。
7,8分経ったろうか、一本つまみ出して試食。まだ芯があった。
更に数分凝視、気持ち悪くなった頃にもう一本試食。ん!ちょっと行きすぎたかもしれない!!
すぐに火を止めて笊にあけ、水をドバァーっとかけて冷す。
茹で上がった麺はやや黄色みがかっており、市販の湯で麺の様に真っ白ではない。
余談だが市販のうどんの漂白剤は発ガン性があるので別のものに変更されたと言うのを聞いた事があるが、そもそも何故に漂白するのだろう?
冷えた麺に指を突っ込みつかみ上げると、表面のつるつる感と、しっかりと弾力のある麺の感触が感じられ、いやがおうにも期待は高まる。
器に盛り、たれを準備し、つけ麺風にて食す。
茹で過ぎどころかコノヤローってほのどコシ。まさに高松駅近くの手打ちの店で食べたうどんと変らぬコシとつるつるの喉越し。大成功だ。
途中からはタレをほとんど使わずに食べた。麺自体の風味が良く、たれが邪魔ですらあった。
美味く炊けた新米のコシヒカリを食べるのに、おかずが要らないのと同じような感じだ。
妻と私と娘とで4人前をたいらげ、こんな事ならもっと買っておくんだったと、ちょっと後悔したほど美味いうどんだった。
高松で泊まったホテルの方に聞いたが、高松人はうどんをほとんど噛まずに喉で味わうと言う。また、天ぷらや何やらのせるのはイナカモンなんだそうだ。
「名物に美味いもの無し」なんて言葉がある。確かに観光客向けの名物はその通りかもしれない。
しかし地元の人達の生活に深く結び付いているものは、本当にうまいのだと悟った。
いやぁ~日本人で良かったよぉ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月10日 (金)

かみあわせと健康

先日、歯の噛みあわせと健康に関する講演会を聴講する機会を得た。ちょっと面白い内容だったので紹介してみたい。
講師はTV出演の経験もある大坂の歯医者さんだ。
講演の内容は、テンプレートと呼ばれる物を奥歯にかむ事で、様々な慢性疾患や運動機能向上に効果があるというもの。オリックスの藤井選手も打撃改善のために愛用しているとのだった。
その他、ムチウチの後遺症に悩む女優さんの事例や、腰痛、頭痛が改善された事例が紹介されていた。
テンプレートは保険が効かず高価なので、代用品として15mm角くらいの木片か割り箸三膳くらい重ねて奥歯に噛む事でも効果があると言う。
要は咀嚼筋(そしゃくきん)とよばれる顎を動かす筋肉を伸ばしてリラックスさせる事、頭蓋骨の姿勢を適正化(歯が擦り減って頭骨が前かがみになら無いように)してやる事が肝要だそうだ。
別に害は無さそうだし、結構肩こりや眼精疲労があるので試して見る価値はありそうに感じた。
私の場合、毎日片道30分の自動車通勤がある。人に見られる事も、話す事もない時間だ。木片を噛むにはおあつらえ向きの環境だ。
妻もいよいよお腹が大きくなってきたので、害は無さそうだし健康に良いなら是非勧めてみたい。
興味のある方は↓こちらをのぞいて見てはいかがだろう。
http://www.jin.ne.jp/template/
(↑URLはリンクしてないのでコピーして使ってくださいな)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月 6日 (月)

勧誘電話

最近毎日の様に会社へ妙な勧誘電話がかかってくる。
大抵はいかにも怪しく適当に断るのだが、中には結構有名な会社で話し方も礼儀正しく、私の気の弱さもあって断り難いのもいたりする。
「…日頃F高校OBの皆様にはお世話になっておる会社でして…今ちょうど近くに来てますので…」てな具合で実に調子が良い。
どうやら高校の卒業名簿が何らかの形で闇市場に回っている様だ。誰が売ったか知らんが、そいつの小銭稼ぎのおかげでこっちは大迷惑だぜ!
と怒るのはこのくらいにして、先日の勧誘の様子を伝えて見たい。
それは短く言うと「先物取引しましょうよ。ゴッツゥもうかりまっせ」というものだ。
おおまかな説明を聞いて電話を切ったが、(すぐに切れなかった事には反省が残る)あまりにも良い話しすぎるので、自分でもちょっと調べて見た。
奴の言っている事は間違いではなかったが、疑問が幾つも出てきたので慎重に構えることにした。
翌朝早速電話があった。「今NYから歴史的なとんでもない情報が!」「金が値上がり…」「今なら5割の利益…」「男になりましょうよ!」
ん?俺のこと女だと思ってたのかな?と思いつつ(思わんて)、「なれません」と断った。
それまでの礼儀正しさなどどこえやら。「はぁ!なれないんですかあ…○△※!!」と責められ、ガチャンと切られた。それで終ってくれてラッキーだった。
先物取引をやっている個人が多くいるのは知っているし、今後増える事も確実で、将来の年金問題を考えた場合に、対策の意味で今から慣れておくのも意義がある事だとは思っている。
奴の言う事は決して間違ってはいないのだが、極めて偏った情報だったのと、話が性急過ぎた事、私がちょいと調べただけでも疑問点が噴出してくる事から、とても信用するには至らなかった。
これまで経済新聞はたまに読んでいたが、株価や先物関係のページは無視していた。
今回の件をきっかけに、「運用」と言う物を意識し、たまにはそう言った記事に目を通してみようと言う気になれた点は良かったと思っている。奴に感謝だ。
なお、例の電話の翌日日本経済新聞を買った。歴史的どころか金の記事などただの1字もなかった。チャンチャン!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年8月 1日 (水)

続 エコービデオ

妻がお腹の子の検診に病院へ行ってきた。仕事から帰宅してすぐ、妻に検診の様子を尋ねると、今回も病院でお腹の子のエコー映像を録画してくれたとのこと。早速見てみることにした。
エコービデオ鑑賞は、もう5度目になるだろうか。
最近では1歳の娘も「あかちゃん みゆ~」といってビデオデッキをゆびさすようになった。
映像を見て順調な経過には安心するのだが、内臓やら骨やら、大事な我が子への愛情を抱くにはあまりにも現実的な映像を見るのは、ややフクザツな心境だ。
映像から推定される体重は2000弱。予定よりも1週ぶんほど大きい様だ。
まぁその予定日と言うのも、はっきりとは解らないので上の子の誕生日に、と言う事で決まったそうで、多少の誤差はご愛嬌だ。
娘は何をどう理解しているのか、映像を見ながらしきりに「あかちゃん おっきいねぇ か~わいい!」を連発。私と妻は思わず顔を見合わせ、「かわいい・・・かぁ? (^^;)」となってしまう。
日頃私達が、外でよその赤ちゃんにあう度「赤ちゃん可愛いね」と言い、エコービデオの変な灰色画像のことを「あかちゃん」と言い、更には「だいぶ大きい」などと感想を述べるので、娘はそれらを総合的に判断?して、先のコメントに至ったのであろう。
ビデオは2分ほどで終りだ。
終ると娘は「もっとぉ! もちょっとぉ! おねがぁい!」と主張する。
そんなおねだりを一体どこで覚えたのかは、とんと見当がつかない。
・…わ、私は覚えがないですよ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月22日 (日)

讃岐うどんは美味い

会議出席のため、高松に行った。自由時間はほとんど無いのだが、四国は初めてということもあり、ちょっと楽しみでもあった。
新しくなったばかりの高松駅に到着し、他の面々と遭った。中にはちょっと早めに着いて、早速讃岐うどんをたべたと言うかたもおられた。
そうだ。ココにつくまで思い出しもしなかったが、高松と言えばうどんではないか!道中、京都駅で買った駅弁で昼食を済ませてしまった麺類好きの私は物凄く後悔し、帰途につく前に必ずやうどんを食ってこましたろうと誓った。
翌日、電車に乗るまでの寸暇を利用して駅近くの手打ちうどん屋に行った。JRのホームにでもありそうな、小さな小さなうどん屋だったが、中では主人がせっせと生地を踏んでおり、入り口付近には粉にまみれたうどん生地を伸ばす台(名前を知らない)があり麺棒が置いてあった。
んん!ここは期待できそうだと中に入り、生醤油うどんを注文した。
2玉の大盛で\220。激安だ。
さっそく食べてみる。これがうどんのコシですぜ!と言わんばかりの歯ごたえ、つるっつるの喉越し。
こんな美味いうどんがこんなに安く食べられる高松の人たちがうらやましくなってしまった。
ついつい讃岐うどんを土産に買った。家で試すつもりだ。
はてさて、あのうどん屋で食べたようなコシと喉越しが再現できるだろうか。
期待と不安・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月17日 (火)

親子の始まり

妻のお腹がだいぶ大きくなってきた。予定日が一人目の誕生日と同じであるため、ちょうど2年前の同じ季節の頃を思い出す。
当時、独身時代に買った2ドアクーペに乗っていた私は、妻の出産を機に車の買い換えを考えており、暇を見つけては妻と中古車展示会などに足を運んでいた。
展示会場で妻がお腹をなでながら「ほら、ブーブがいっぱいあるね」と話しかけていた姿が、今でも強く印象に残っている。
一人目と言う事もあり、妻はよくお腹の子と話していた。
それまでは親子関係は子供が産まれてから始まるものだと考えていたが、お腹に宿った時から既にその関係は始まっているのだとつくづく感じた。
また賛否は別として、中絶というものがどういう行為であるか、始めて知った気がしたものだった。
ただし、やはり親子の「格闘」が始まるのは産まれてから後だ。今ももちろん続いているし、もうすぐそれが更に増える。
昨年2人目をもうけた友人曰く「今のうち、親子3人の暮らしを堪能しておけ。子供2人になると大変さは4倍だ」
極めて実感が滲み出ている言葉に感じられ、覚悟をしなければと思う。
前回の「ひとりごと」では反省の意味を込めて娘を怒鳴った事を白状したが、もう一度肝に命じて2人目のお出ましを待ちたいと思う。
・・・・・2度目のゴングまで、あと67日・・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月 9日 (月)

子育て

恥ずかしい話だが、先日、1才10ヶ月の娘を、「うるさい!」と怒鳴りつけてしまった。
食事中になぜか機嫌を損ねた娘が渾身の力を込めて叫ぶような泣き声を上げ、皿を跳ね飛ばし、あやそうとする妻にも抵抗した。
一旦は収まりかけたのだが、ちょうど見たいTVを見ていた私の横にきて、またわめき始めたのでついカッとなってしまった・・・。
最近、幼児虐待の事例がニュースなどで良く取り上げられるが、私などまさにその予備軍ではないかと思わずにいられない。
訳の解らない子供のことと思い、かなり我慢はしているつもりだが、それが切れてしまう瞬間がある。
妻によれば、あれ以来娘は一人遊びの最中に「うるしゃい!」と言うことがあるという。
今は特に私を恐れたりする様子はないが、かなりなショックを受けた様子だ。
最近、自我が発達してきて、親の言うなりでなくなって来たのは事実だ。ついカッとなる事も増えてきた。しかし、これから親が思う以上に急速に成長し、口が達者になれば、もっともっと腹に据えかねることが出てくるだろう。
機嫌を損ねて泣き喚くくらいは可愛いものだと認識しないといけないのだろう。
親も感情のある人間だが、子を感情で怒ってはいけないのだ。
自分の未熟さに反省しきりのひとりごとである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月 5日 (木)

モノ作りニッポン その2

前回に引続き造船所見学ネタ。今回は船を建造するドックについて。
ドックとは船を建造する場所のこと。巨大な長方形プールのような物で、短辺の一方は海に面しており、さながら人工の入り江と言った感じだ。
建造するには当然ながらドックの海水を抜く必要があるため、海との間は鋼鉄の可動壁で仕切られている。
ドックと海を隔てる鋼鉄の可動壁。現在の近代的ドックではこの可動壁を強力なモーターで開閉するそうだが、ここの造船所のは違う。何しろ明治時代に建設されたものなのだ。強力なモーターも大電力も得られない時代の可動壁はどうやって開閉するのか。そこには実に素晴らしい工夫が生きていた。
からくりはこうだ。
ドック中で船が建造中だとする。当然ドックの中に水はない。この時可動壁は海からの水圧を受けてドックに密着し海水の侵入を防ぐ。
進水式など開くときは? 可動壁にある注水口が開かれ、ドック内に海水が注入されると、海側から可動壁への水圧力は失われる。
そして可動壁内の水を抜く。すると可動壁は水面に浮かんでくる。あとは可動壁を引いて移動し、中の船が海に出る。
次に浮かんでいる可動壁を元の位置に引き寄せ、可動壁の中に水を注入。可動壁はもとの位置に沈む。あとはドックの水をポンプで抜けば、また水圧で水を漏らさぬ栓となる。
古い面倒なやり方かも知れないが感心してしまった。莫大な水圧に耐えている巨大な可動壁をほとんど自然の原理で動かしてしまうのである。
これこそまさにエコロジーじゃないか?
頭と技を使えばチカラは要らないのだ。これこそ日本人の最も得意とする分野ではないだろうか。
価格競争力と言うお金のチカラに復讐されている今、チカラにまさる知恵を取り戻したいと思わずにはいられなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月 3日 (火)

モノ作りニッポン

このまえ、造船所の見学をする機会を得た。
ドックではパナマ運河を航行できる最大サイズのタンカー(パナマックスというそうだ)が建造中だった。近く進水式とのこことで外観はほぼできあがっていた。
いやはや、とてつもなく大きかった。間近で目の当たりにすると言葉を失い、おもわず笑ってしまいそうだった。
「造船」といえば最近は明るい話題がなく、とかくマイナスイメージで捉えられがちだが、皆に一度見て欲しい。本当にこのド迫力は問答無用だ。
同時にこんなものをたったの3ヶ月で作ってしまう技術力を目の当たりにし、やれITだなんだとチマチマした流行産業などおママゴトにさえ思えた。
しかし、人件費の高い日本のもの作りは苦戦している。将来、一時的に状況が回復する事はあっても、かつての盛況を取り戻すこはなく、失われて行くのではないかと不安になる。
島国では必要不可欠だった船。大昔から培われたノウハウも、現代の経済原理に勝てず、安い労働力を持つ、船の要らない大陸の造船業に駆逐されるのか?
かつてのアメリカの自動車業界が日本車の攻勢に打ちのめされながらもしたたかに巻き返した様に、こんなに物凄い日本のもの作りは絶やしてはならない。つい浜省の曲が頭に浮かんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年7月 2日 (月)

釣りとHP

毎朝通勤途中にカーラジオで「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」という番組を聞いている。
武田鉄矢が色んなテーマについて語る番組だ。面白い時もあれば、いいかげんにせいよと思う時もあるし、なんといっても話の信憑性がかなり疑わしいのだが、そこがかえって楽に聞ける理由かも知れず、もう何年も毎朝聞いている。
最近、司馬遼太郎の話題があった。普通の人が一生の間に経験する事と言うのは、せいぜい短編小説三部くらいだと司馬氏が語ったとの事。
そのくらい、個人の力では大した話のネタを作る事は難しいのだろう。
自分も家族のHPなどと偉そうに公開しているが、確かにネタ探しは大変だし、大変なわりにはでき上がったのは単なる自己満足の代物で、客観的な価値など無い。
自分がHPを公開するまで、その様な個人のHPにはなんの価値も感じていなかったし、インターネットで必要な情報を取出す時に邪魔だとさえ考えていた。
そのため、最初はそんなものを公にする事にかなり抵抗があったのだが、いまは見てくれる人へ、誰とはなしに世間話でもするような気分で更新している。
反応してくれる人があれば、嬉しいし、そうでなくても別に気にならない。
私は釣りはやらないが、多くの釣り人の気分ってそんなんじゃないだろうか?
しょうもないネタ(餌)を公開する(海に糸を垂れる)。面白い反応(引き)が返ってくる。
なにも起こらなくても、それはそれでよし。海を汚さぬようにさえすれば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月26日 (火)

お天気

梅雨入り宣言は出なくなったが、どうやら梅雨入りしたようだ。
天気予報では太平洋側は晴れ、日本かい側は雨とくっきり分かれている。
水が豊富と喜ぶべきか、行動が制限されると悲しむべきか。
ダムがあって多少の日照りでも水不足になりにくくなった現代では、雨の恩恵を直接感じることは少ないので、天気のいい地域がちょっと羨ましい。
特に大坂などは、予報で雨マークがついたのすら見たことがほとんど無い気がする。だいたい月に1回くらいのペースで、もう40回以上大坂に行っているが、今までに傘が必要だったのは2回だけだ。まぁ運もあるだろうけど。
今は大坂に行くときはこちらの天気がどんな状態であっても傘は持たないか折畳みにしている。
悪天候の中、傘を持たないで出かけるのはかなり勇気がいる。折畳みなら鞄にしまえば問題無いが冬はちょっと厄介だ。
こちらで吹雪いていたりすると、コートにブーツに傘と言うスタイルになるが、この姿でサンダーバードに乗ってはならない。終点の大坂に着いても恥ずかしくて降りる事ができない。なぜなら冬の大坂はピーカンで、ブーツや傘はおろか、コートすら着て無い人も大勢いる。そのまま降りずに車庫に入ってしまいたくなるかもしれない。
それを回避するには、気合一発入れて革靴に履き替え、雪の中を駅に向わねばならない。傘も持たない。靴の中には雪が入り、頭には雪が積もり、変な見栄を張ってアホじゃなかろか?と思えてくるだろう。
特急でたったの2時間で行ける大坂。それ程近いのに天気が全然ちがう。
何度行っても違いに驚く。行く度に暗い穴倉から外界に出たような晴れやかな気分になる。
しかし帰るときは名残惜しさこそあるものの、暗い穴倉に帰るのかと陰鬱な気持ちになる事は無い。むしろ、安心感を感じるから不思議だ。
雨が多かったり雪が降ったり、生活にはマイナス面ばかりにも関わらず、それに馴染んでしまうのはどう言う訳か。
来週も大坂に行く予定がある。しばし明るい外界のさんぽを楽しんで来よう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月24日 (日)

Q2にご用心

インターネット利用でのQ2ダイヤル被害についての記事を新聞で見かけた。使った覚えのない多額のQ2利用料が請求されると言うものだ。
確かにインターネットでは色んな形で有料情報を提供するサイトがある。Q2ダイヤルを使ったものもその一つ。
なぜ被害が増えているのか?なぜそんなに高額請求が来るのか?気になったので少し調べてみた。
その手のサイトに行けば大抵は「ここから先は有料だな」と解るので、特に必要な人でなければ近づかないだろう。ところが最近、ActiveXなるものを使って巧妙に利用者のパソコンにソフトをインストールし、ダイヤルアップ設定の中身(アクセスポイントの電話番号)を0990で始まるQ2番号に書き換えてしまうという悪質なものが増えているらしい。
ActiveXは何もしないのに利用者のPCに入り込む事はない。侵入する例としては、一部の18禁サイトやF1の情報サイト、懸賞広告などをクリックすると゛年齢認証゛なる画面が出てきて○○歳以上なら「はい」を押せと要求する。見に来る人の多くはその情報に興味があるわけで、何気に「はい」を押す。これでインストール完了、続いて画面上のどこかをクリックすると現在の接続が切れ、書き換えられたQ2番号へのダイヤルが始まる。
そうなれば、その時はおかしい!と思って切断しても、次回以降のネット利用も、常に書き換えられたQ2ダイヤルを通じて行なわれる事となる。利用者は契約プロバイダのアクセスポイントに繋いでいるつもりでメール送受信やネットサーフィンを楽しんでいるのだが、実はそれら全てにQ2情報料とその接続先までの余計な通話料が課金されている。
かくして利用者は青天の霹靂が如き請求書に青ざめる。
Q2利用料は場合によって支払拒否も可能だが、似た様な手口で国際電話に繋がってしまう事もあり、この場合はご愁傷様だそうだ。ダイヤルアップ接続の場合は対策を講じておくべきだろう。
君子危うきに近寄らずと言うが、一見危うくないのが罠というもの。罠にかからないためには賢くなるしかない。
望まないQ2や国際電話利用への対処法を詳しく知るのに有益なサイトがある。URLを記すのでご覧になってはいかがだろう。
http://www3.plala.or.jp/hiro-mg3920/tel.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月21日 (木)

選挙運動

7月の非拘束名簿方式による参議院選挙を前に、支持者カード記入や講演、集会などと言った形での選挙運動が活発化している。労組の役員をしている関係上、職場の人達に支持者カードの記入を依頼する事がある。支持者カードとは、ある候補者を支持する(ことになっている)有権者を紹介するための名簿で、友人知人家族など差し支えのない人の名前、住所、電話番号などを書く様になっている。これを2世帯分とか5人分記入する事を皆に依頼する。一応、支持者を紹介するという事になっているが、実際にはみんな適当に友人知人の名前を書いて出しているだけ(と思われる)で、紹介相手に名前を書いても良いか了解を取る事は各個人に任されている。
いくら労組の所属団体が支持する候補者の支援活動とは言え、こんなものを書けと言われても気が進まないし、頼む方も気が引けてしまうのが正直なところだ。
本来は、候補者の事を良く知った上で、支持するかどうかを決め、支持する理由を各所属団体や各個人に十分説明した上で支持活動を依頼するべきだ。ところが現実には、顔写真と名前の入ったチラシを配布して、存在感をビジュアル的に有権者に印象付けたり、先の支持者カードのようなものを記入させる事が先行している。
個人名を投票する選挙の場合、所属政党がどうこうよりも、その候補者自身の考えや人間性などが伝わらなければ、おいそれと支持などできる筈は無い。増して他人を巻き込むような事には強い抵抗を感じるのが普通だろう。
また、選挙前だけ大騒ぎして、その後音沙汰無しで何もしないのではという疑念も生じる。当選中継のときだけ面目躍如とばかりにお祭り的に盛り上がる姿はしらけるし、デフレ経済に皆が喘ぐ今、その様なまやかしに浮かれる者などいない。
組織力をつかって十把一括げ的に事を進めるやり方は、まだまだ当面は力を発揮するかもしれないが、次第に支持を失うだろう。一方では個人が自分の意思で判断し、行動するのが理想だが、正しく判断する材料(情報)が見つけられず結局は政治離れを加速している。
労組などは、その情報源としての役割を担わねばならないのだが・・・・。
個人的には疑問を、立場的には反省を抱きつつ過ごしている今日この頃である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月13日 (水)

風邪ひいた

先週末の土日と風邪で寝こんだ。土曜の午後から熱が出始めた。わたしはあまり強い方ではないので、「これは2,3日休まなきゃいけないかも」と、とても心配だった。いつもなら、ひき初めの時点で薬を飲み始めるが、「薬で抑えるより、ポーンと熱が出てしまった方が治りが早い」と聞いたのを思いだし、薬を飲まない事にした。
そうしたら、夜中にかけてぐんぐん熱は上がり一気に39℃に達した。
その後もずんずん辛くなり、医者へ走る気力も体温を測る気も失せていた。「失敗したかなぁ」と思ったが、まぁいいわと思って寝た。
気がつくと日曜の朝。体はすっかり楽になっており、熱も37℃台に落ちていた。結局その日1日安静にしていたら治ってしまい、月曜には元気に出社できた。休みはつぶれたが、信じられないくらい一瞬で治ってしまった。
嬉しいような悲しいような。せっかくなら平日にひけば良かったなどと不謹慎な事を考えてしまった。
しかし、体が弱いと思っていた自分の治癒力が、薬よりも効くのには驚いた。ちょっと自分の体を見直した週末の発熱だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月 8日 (金)

今日の事件

今日、とんでもない事件が起こった。小学校に男が乱入し低学年の子供達を次々に刺し、現時点で8名が亡くなった。
腹立つ!血管切れる!
やっと小学校に入ったばかりの幼い子供を亡くされたご遺族の、特にご両親の気持ちは想像を絶する。まだ事件を信じる事もできないだろう。なにも言葉が浮かばないが、本当に気の毒で仕方がない。
一体なんでそんな目に遭わねばならなかったのだろう。そんな運命だったで済むはずは無い。絶対にあってはならないのだ、こんな事は。本当に辛い気持ちになる。
この手の異常犯罪の犯人は大抵「精神鑑定の結果、責任能力無し」と判断され刑事責任を問えない。今回もそうなるだろう。
いつも疑問に思うが、責任能力がないから罪に問えないって何なんだ?猛獣と一緒じゃないか?だったら野放しにしてはいけないのではないのか?それでも基本的人権を保障するために拘束はできないのか?じゃぁ被害者は、責任能力の無い人間の基本的人権を保障するために、人権はおろか人生そのものまで剥奪されて、それで諦めなきゃいけないのか?
ここらへんの問題は難しくて私には良く分からないが、絶対おかしいぞ!
犯人は死刑にしてくれと供述しているそうだ。貴様のような者でも法は人間と認めるのだ。それで済むと思うな!
・・・穏やかなイメージを狙ったこのページに過激な言葉は似合わないと思ったが、言わずにおれない今日の出来事だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月 6日 (水)

エコービデオ

妻が妊娠経過の検査のため病院に行った。最近の病院では胎児のエコー画像を録画してくれるらしい。帰宅後、妻に促されて家族3人でビデオを見た。
実は1ヶ月前に引き続き2度目の鑑賞であった。エコー画像のほかに心音とその波形も表示されるのだが、波形は明らかに1ヶ月前よりもメリハリがあり、音はずいぶんと力強くなっていた。
順調な成長具合に目を細め・・・・と行きたいところだが、映し出される映像は骨格や内臓が見え、あまりにも生々しいため、愛しい我が子ではあるが、一個の生命体の科学的観察記録と言う感じがしたのもまた実感であった。せっかくの病院のサービスなのだが、もうちょっと素人向けの画像にならないものかと思ってしまった。
ともあれ、着実に成長している様で何よりだった。このまま無事に出産を迎えれば、私のような者でも二児の父なのだなぁと感慨にふけった。
そういえば、長女がお腹にいた時に一番考えたのは、もしも障害を持って産まれてきたなら、自分の人生を全て注ぎ込んででも育るのだという覚悟だった。男の子か女の子か、美系か不細工か、大きいか小さいか、んーなことは本当にどうでも良かった。二人目でも気持ちは同じだ。
親が子を育てると言うが、子供の存在によって考える事、鍛えられる事の多さに驚く。
また、子宝に恵まれた事で、出産までの期待と不安と責任と、交互に頭をよぎるこんな時期を経験できる自分は幸せ者だとも感じた。
子供が成長するに連れ、もっともっと大変になり、こんな悠長な事は言っていられなくなるだろう。そのときが来るまでの間、しばしささやかな幸福に浸るのも良いではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年6月 1日 (金)

定年おめでとう

会社で良くしていただいた方がご定年を迎えられた。長年営業マンとしてやってこられた方だった。入社以来10年間、技術部門に在籍しつづけてきた私に、社会での特に外での人間関係について、折りに触れては話しを聞かせてくれた。毎日毎日朝から晩までコンピュータや数式を眺めている私の事を心配しての事だったのかもしれない。
始めて話しかけられた時、やけになれなれしくて人の心にズカズカと入り込んでくる、うざくらしい人だと思ったのが第一印象で、正直言って好きになれず結構冷ややかに接していた。
ところがその調子で話し掛けられているうちに、悪い気はしなくなり、しまいには仲良くなってしまった。
実に不思議な人だ。私には到底持ち合わせていないものをもっているその人は自分の父より年上だが、相手にされなくてもめげずに突入して行くエネルギーは少年そのものだ。パソコンを買い、インターネットを始め、定年後の日々は地元の歴史の研究をしたいんだと意気込んでいる。
見ているだけで、なぜか羨ましい気持ちがする。
そこには侘しさ淋しさ虚脱感など微塵も無い。ホントはいろいろ有るのだろうけど・・・。
ぜんぜん性格が違うけれど、自分もそんな壮年になりたいと感じた。
Mさん、定年おめでとう。これからもよろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年5月30日 (水)

くずまんじゅう(小浜市にて)

週末、土曜日の朝、妻が「小浜のくずまんじゅうが食べたい!」と言うので、家族3人で小浜市へドライブとなった。小浜市までは私たちが住む福井市から下道で片道3時間程度。たかが葛饅頭のために1日つぶれるのではあるが。
実は小浜市は、私が小学4年から5年にかけて住んでいた土地でもある。おぼろげながら地理が分かる事と、懐かしさが、妻の主張を断らなかった理由だったかもしれない。正直言って葛饅頭には興味はなかった。
小浜市に入り、24年前当時の記憶を頼りに、「小浜ショッピングセンター」に到着。建物は当時と殆ど変らぬ姿で建っていた。とりあえず葛饅頭屋を探して南川から千種への通りへ車を走らせる。M君S君の家がある路地、そろばんを習いに行った家、・・・見覚えのある昔のままの風景が、自分の遠ざかっていた20年以上の間も、当時の人達がそこで生き続けていたのだと感じさせた。
妻が「伊勢屋」という和菓子屋を見つけた。駐車場に車を停めて店に入り、店の奥のテーブルにつく。店のショーケースの脇には流しがあり、1個分の容器に入ったくずまんじゅうが多数、水に洗われており涼しげな雰囲気を醸し出していた。この店だけは、残念ながら記憶にはなかった。
さっそく注文し、親子3人で味わう。・・・・これが実に美味しかった。みんなで12個をたいらげ、店を出ようとした時、地元のおばさんらしき人が店に来た。知っている顔だった。間違いなくM君のお母さんだった。声を掛けようかと迷っているうちに用を済ませ、自転車で行ってしまった・・・。
元気そうだった。
やっぱりここには、当時の人達が今も静かに、しかし力強く暮らしているのだと感じた。
後ろ姿に「これからもお元気で・・・」と心でつぶやいた。多分、2度と会う事は無いと思った。

帰路、幼い娘は座りつかれ愚図ったが、私はハンドルを握りながら、なんとなく清々しい気分に浸っていた。小学生の時は父の仕事の事情で転校生だった。引っ込み思案だった私にはきつかったが、そんな境遇に感謝したかった。そして思いがけない提案をしてくれた妻にも。
今日の想いも、きっと私の記憶には、長く刻み込まれる事だろう。家族で食べた葛饅頭の味とともに・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)